プレーオフの悲劇を乗り越えるために=J2・J3漫遊記 京都サンガF.C.<前篇>

宇都宮徹壱

プレーオフの前に力尽きていた2012年の京都

2年前、大分とのJ1昇格プレーオフで指揮を執る大木監督。敗戦後、辞任の意思を伝えていた 【宇都宮徹壱】

 果たして今季の京都は、5シーズンぶりとなるJ1復帰を果たすことができるのか? そのために、クラブに求められるものは何か? その解を求めるには、まずは直近の3シーズンを検証する必要がある。当事者たちの言葉を引きながら、あらためて祖母井・大木体制を振り返ってみたい。まずはGMの祖母井の回想から。

「僕がGMを引き受けた時、大木さんが監督をやることは、すでに決まっていたんです。僕は本来、ファミリーとして一緒にできることを重視していたので、知らない人と仕事をするのは実は初めてだったんですね。大木さんについては、甲府で面白いサッカーをやっているというイメージはあったけれど、人間的な部分はよく分からなかった。ですから、いろんなルートから情報を集めました。その結果、あまり器用なタイプではないけれど誠実な人であることが分かって、『この人と一緒にやろう!』という気持ちになりましたね」

 1年目の2011年は、メンバーの半分が入れ替わってチームが若返ったこと、そして大木監督が目指したプレッシングとワンタッチパスを繰り返す「アクションサッカー」への転換が浸透せず、一時は19位にまで沈むこともあった。しかしその後、U−18から昇格した久保や宮吉の活躍もあり、最終的には7位でフィニッシュ。一方、天皇杯では9年ぶりとなる決勝進出を果たし、同じJ2のFC東京に敗れたものの、大きな希望を残す形で激動のシーズンを終えた。

 翌12年は一時期首位に立ったものの、甲府や湘南ベルマーレとのデッドヒートは終盤までもつれた。そして迎えた最終節。2位京都はJ2優勝とJ1昇格を決めている甲府と、そして3位湘南はJFL降格を回避するために負けられない町田ゼルビアと、それぞれ対戦。結果、スコアレスドローに終わった京都は、町田に完勝した湘南に逆転での自動昇格を許し、この年から始まったプレーオフに回る。結果は前述したとおりだ。

「甲府戦に0−0で引き分けた時、すでにチームは力尽きていたと思います。あそこですべてのエネルギーを使い果たしてしまって、(プレーオフまで)気持ちが続かなかった。(プレーオフで大分に敗れた)試合のあと、大木さんから『もう、これ以上はできません』と言われていました。おそらくその時は、本心でそう思っていたんでしょう。でも、それから2日後の練習を見ていたら、選手たちがものすごく生き生きしていたんですよね。何か、良い方向に動き出すような感じがしていた。大木さんも、そこに手応えを感じていたようです。その後、クラブから正式な続投オファーを出させていただき、大木さんも『(来季も)やりたい』ということで、契約をさらに1年、延長することになりました」

「生え抜き」駒井が語る、J1復帰に必要なものとは

Jリーグ100試合出場のMF駒井。京都のJ1昇格に必要なのは「勝負強さ」と語る 【宇都宮徹壱】

 選手の言葉にも耳を傾けてみよう。取材に応じてくれたのは、背番号7のMF駒井。トップチームで現在唯一の京都出身者で、ジュニアユース、U−15、そしてU−18と、一貫して京都で育ってきた文字通りの生え抜きだ。プロ4年目で、先の札幌戦では21歳ながらJリーグ通算100試合出場を達成している。当人にそのことについて水を向けると「大きな怪我をせずに節目を迎えられたことには感謝していますが、もっとチームの中心になっていかないといけない数字だと思っています」と、実にしっかりした答えが返ってきた。

 駒井は過去2回のプレーオフに、いずれもスタメン出場している(2年前はワントップ、去年は右ウイング)。どちらが印象に残っているのかと尋ねると、即座に「決勝で徳島に負けた去年ですね」との答えが返ってきた。

「試合前は『絶対に勝つんだ』という強い気持ちで臨みました。引き分けでも昇格という、自分たちにとっては有利な条件でしたけど、絶対に1点でも多く取って上がるんだという意識はありました。それだけに、前半で2点決められて負けてしまったのは、正直堪えましたね。2年連続で、一発勝負に負けるというのは、それだけ自分たちに力がなかったということだと思います」

 一方で3シーズン続いた大木サッカーについては「戦術も選手も基本的に変わらなかったので、自分の場合は大木さんのサッカーは身体に染み付いています。逆に今年は、監督も選手も変わったので、もっと合わせていく必要性を感じていますね」と語る駒井。では、京都がJ1に昇格するために最も必要なものは何か? この質問に対しても、駒井は「勝負強さですね」と即答した。

「去年はいいサッカーをして、内容では勝っているんだけれど取りこぼしてしまう試合が多かった。メンタルの部分もあるかもしれないけど、やっぱり選手ひとりひとりが『チームとしてどう機能するか』を意識しないと、勝負強さを引き出すことはできないと思います。自分のポジションだったら、攻撃でも守備でも1対1に負けないことと、スペースを突く動きですよね。ひとりひとりが相手より上回ることができれば、こちらが主導権を握ることができる。だから、まずは目の前の相手に負けないことが一番だと思います。これだけ試合に出させてもらっている以上、そこは徹底したいと思います」

 2年連続でプレーオフで涙を呑んだ京都は、昨シーズンオフに大木が監督を退任。祖母井もGM職を辞することを考えるが「監督とGMとでは立場が違う。祖母井さんには、長く残ってもらわないといけない」という前監督の言葉を受けて、クラブにとどまることを決意する。そして迎えた4年目の今年、祖母井が後任監督として白羽の矢を立てたのが「バドゥ」ことヴァルデイル・バドゥ・ヴィエイラであった。1977年の若き日、ケルン体育大学で初めて出会ってから37年。両者はここ京都で、「ファミリー」としてJ1昇格を目指すこととなった。

<つづく。文中敬称略>

(協力:Jリーグ)

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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