ソチは通過点、挑戦の舞台は冬から夏へ 20年東京パラリンピックへと続く道

瀬長あすか

銅の久保は車いすマラソンに挑戦

バイアスロン銅の久保はソチを最後に陸上へ転向。20年東京パラリンピックで「夏冬メダリスト」を目指す 【吉村もと/MA SPORTS】

 ソチパラリンピックは16日に閉会式が行われ、10日間の熱戦が幕を閉じた。パラリンピックは4年に一度の大舞台。五輪同様に、その舞台に懸けるアスリートの思いは強い。そこに特別な気持ちで大会に臨む選手の姿があった。
「冬から夏へ――」。活躍の場を“次のステップ”に移す彼らのメダルへの挑戦は続く。
 バイアスロンとクロスカントリースキーに出場した久保恒造(日立ソリューションズ)は、今大会を「集大成」と位置付けて臨んだ。冬競技から退き、陸上競技に専念して夏のパラリンピックを目指すことを宣言している。

「(ケガで車いす生活になって)初めにやりたいと思ったのが車いすマラソン。だから、その競技で世界と勝負したい」

 もともと長距離専門の陸上選手としてパラリンピックを目指していた。オフシーズンのトレーニングに車いすマラソンを取り入れていた先輩の誘いで、2008年にスキーを始め、1年の半分をスキー、残りの半分を陸上にあて、“二足のわらじ”を履いてきた。

 だが、スキーと陸上は使う筋肉が違い、体づくりの方法も異なる。スキーを極めていくにつれ、陸上との両立が難しくなっていった。

 10年の冬季バンクーバーパラリンピックにはスキー選手として出場したが、陸上競技で、12年夏季ロンドンパラリンピックの日本代表選手になれなかった悔しさも、もう一度、陸上に専念したいという気持ちに火をつけた。

東京で狙う「夏冬メダリスト」

 バンクーバーで表彰台に上がれず、「悔しいものでしかない」と語るパラリンピックという舞台。「リベンジしなければ終われない」と自分を奮い立たせ、ソチの地に降り立った。

 メダルを狙っていたバイアスロン3種目(7.5キロ、12.5キロ、15キロ)の射撃ではすべて満射をたたき出した。初日の7.5キロで銅メダルを取った後のレースは強敵ロシアの前に屈したが、「辛抱強く追い上げる自分のレースをしたい」と挑んだ15キロでは、その言葉通り、上位を占めるロシア勢の中で気迫の走りを見せ、堂々の6位に入った。メダルには届かなかったものの、レース後、「自分の100パーセントの力が出せた。メダルを取ったような気持ちです」と話す充実ぶりだった。最終日のクロスカントリー10キロフリーも会心の滑りで5位入賞。大会を笑顔で締めくくった。

「心置きなく次のステップに行くためにも、どうしても欲しかったのがメダル。圧倒的な力を見せるロシア勢相手に、銅1個取れただけでも最高の出来」と振り返った。

 4月1日から、所属先の日立ソリューションズが久保のために新設した「車いす陸上部」に籍を移す。車いすマラソンとトラック種目で2年後のリオデジャネイロパラリンピック出場を狙い、20年東京パラリンピックでのメダル獲得を目標に掲げる。

 ソチの選手村には、いつでもトレーニングが始められるよう陸上用の車いすを持ち込んだ。久保の障害クラスT54(車いす)はツワモノぞろいだ。国内外ともに競技人口も多い。
「ソチでのメダルは競技人生の通過点。自分には、ゆっくりしている暇はない」

 その先に見据えるのは、まだ日本人男子にはいない「夏冬メダリスト」である。

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著者プロフィール

1980年生まれ。制作会社で雑誌・広報紙などを手がけた後、フリーランスの編集者兼ライターに。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、04年アテネパラリンピックから本格的に障害者スポーツの取材を開始。10年のウィルチェアーラグビー世界選手権(カナダ)などを取材

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