戦力の好循環でリベンジを果たした広島=ゼロックス杯 広島対横浜FM

宇都宮徹壱

広島の選手が付けていた喪章について

開始早々に挙げた先制ゴールの後、広島の選手たちは右腕の喪章を天にかざした 【写真:アフロスポーツ】

 その日、東京・国立競技場には、色とりどりのJクラブフラッグが風になびいていた。記者席から見て、バックスタンドの左端から、コンサドーレ札幌、グルージャ盛岡、ベガルタ仙台と続き、最後は大分トリニータ、FC琉球、そしてU−22選抜となっている。新シーズンの幕開けを告げる、2月22日の富士ゼロックス・スーパーカップ2014。この晴れ舞台には、毎年すべてのJクラブのフラッグがスタンドに掲げられるのだが、今年からJ3リーグの11クラブとU−22選抜のフラッグが新たに加わり、その総数は52となった。

 J3リーグについては、個人的にいろいろと思うところがあるが、J3クラブもこの晴れ舞台に仲間に入れてもらえたことは純粋にうれしい。そして左手ゴール裏の大型スクリーン上にたなびいているのは、昨シーズンのJ1チャンピオンであるサンフレッチェ広島、そして天皇杯覇者の横浜F・マリノスのフラッグだ。今年のゼロックス杯は、53日前の元日、ここ国立で行われた天皇杯決勝と同一カードとなった。

 単にチャンピオンとカップウイナーの対決ではなく、昨シーズンのリーグと天皇杯のタイトルを最後まで争った両チームによる顔合わせ。加えて、横浜FMは最後の最後で9年ぶりとなるリーグ優勝の夢を広島に持っていかれ、その広島も横浜FMに対して3戦全敗という悔しい結果に終わっている。そうした両者の因縁については、すでにさまざまなメディアに取り上げられているので、今さら多くを語る必要はないだろう。ここでは、広島の選手が右腕に付けていた喪章について、言及することにしたい。

 彼らが哀悼の意を表したのは、20年にわたり広島のスタッフを務めてきた、故・澤山文枝さんである。今月10日、60代の若さで突然亡くなられた。私自身は、澤山さんとは直接面識はなかったものの、ご子息が10年来の仕事仲間ということもあって広島での葬儀には出席させていただいた。式場には、Jリーグや他のJクラブ関係者、OBを含む広島の選手やスタッフ、そして地元スポンサーからたくさんの献花や弔電が届いていて、いかに故人が多くの人たちから慕われ、愛されていたかが偲ばれた。

 生前の澤山さんの主な仕事は、新人選手の教育や外国人選手のケアなど裏方のものが多く、自身が表に出ることはほとんどなかったという。だが、広島の選手たちのメディア対応がしっかりしているのも、セザール・サンパイオをはじめとする元外国人選手たちが広島時代を懐かしく感じるのも、いずれも彼女の真摯(しんし)で実直な仕事のたまものであったことを、葬儀に出席して強く実感した。喪章といえば、甚大な災害やレジェンドの死去をイメージしがちだ。そんな中、裏方スタッフの長年の功績をたたえ、ゼロックス杯のような注目度の高い試合で哀悼の意を表することを決めたクラブの判断には、心からのリスペクトを送りたい。

天上にささげられた先制ゴール

 さて試合である。天皇杯決勝と同一カードということで、その時のスタメンと見比べながら、今季の両チームの方向性が探ってみることにしたい。まずは横浜FM。こちらは右MFが兵藤慎剛から新加入の藤本淳吾(前名古屋グランパス)に変わった以外は、まったく同じメンバー。10年ぶりのリーグ優勝に向けて、藤本のほかにも下平匠(前大宮アルディージャ)、矢島卓郎(前川崎フロンターレ)など積極的な補強を行ったものの、まずは昨シーズンに完成した陣容をベースに、藤本のフィット感を試そうとする意図が感じられる。

 一方の広島は、西川周作(現浦和レッズ)が抜けたGK以外にも、ボランチと左シャドーの3つのポジションが入れ替わっていた。ベテランの森崎和幸と新戦力の柏好文(前ヴァンフォーレ甲府)がキャンプ中に負傷、そしてベンチ入りしたものの高萩洋次郎も故障中ということで、それぞれのポジションに林卓人(前仙台)、柴崎晃誠(前徳島ヴォルティス)、野津田岳人が入った。今季の広島は3連覇への挑戦に加えて、グループリーグ最下位に終わったAFCチャンピオンズリーグ(ACL)での再挑戦もある。今季初タイトルと「打倒・横浜FM」という目前の勝利も重要だが、今後の連戦(26日にACL、3月1日にJ1開幕戦)を考えるなら、若手や新戦力を積極的に起用しようとする思惑も透けて見える。

 ゲーム序盤、ペースをつかんだのは広島だった。開始14秒で石原直樹がドリブルからファーストシュートを放つと、6分には待望の先制ゴールが生まれる。右サイドから石原がドリブルで突進して対面するドゥトラをかわし、低いクロスを供給。中央に走りこんできた佐藤寿人は合わせられなかったが、その背後に走りこんできた野津田が左足にうまく当ててネットを揺らした。次の瞬間、選手全員が野津田に駆け寄り、全員で右腕の喪章を天にかざす。言うまでもなく、天上の故人にささげられたゴールパフォーマンスであった。

 野津田といえば、先の天皇杯決勝ではゲーム終盤に出場機会を得たものの、老かいな横浜FM守備陣に何もさせてもらえず、試合後にがっくり肩を落としていたことを思い出す。この日のゴールについては「寿人さんが自分の前でつぶれてくれたので、自分は流し込むだけ。普段の練習でやっているパターンでした」。また前述の澤山さんについては「プロのサッカー選手に必要なことを、いろいろ親身になって教えてくれた母親のような存在でした」と振り返る。広島ユースからトップチームに昇格して3年目の19歳にとり、この日のゴールは、おそらく生涯忘れ得ぬものとなることだろう。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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