カーリング司令塔・小笠原歩の強さ 母のたくましさと強烈な責任感と…

高野祐太

司令塔として3度目の五輪に臨んだ小笠原 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 カーリング女子日本代表(北海道銀行フォルティウス)のソチ五輪は、ハラハラ、ドキドキの1週間だった。

 意外性をいっぱいにはらんだ展開は、セカンドの小野寺佳歩が大会直前にインフルエンザにかかってしまう不運から始まった。急成長していた大事な戦力を欠いて、序盤にチーム全体のリズムが生まれない。韓国など世界ランク下位チームに痛い星を落としたが、善戦したカナダ戦あたりからエンジンが掛かり始める。強豪のスイス、中国を破り、準決勝進出は逃したものの、トータル4勝5敗で長野五輪と並ぶ日本女子最高の5位に入った。

 日本を離れる前にスキップ(司令塔)の小笠原歩は、「どこも強豪なので、いかに冷静なプレーができるか。メダルが簡単でないことは2度の経験(2002年ソルトレークシティ五輪、06年トリノ五輪)で分かっているから、まず今まで以上の中盤の順位につけたい。最後の1投まで分からない、これぞカーリングという試合をして感動を味わってほしいです」と語っていたが、まさにその通りの結果になった。

勝機を呼んだ柔軟な采配

 それにしても、時折ミスもありながら、次第に勝利の流れをつかみ取ってしまう北海道銀行らしい強さを、五輪でも発揮したあたりが痛快だった。小野寺の予期せぬトラブルも吉田知那美が十分にカバーした。リザーブに回ることの多かった吉田が急きょ、慣れないセカンドに入ったが、まさにこの大会で成長したかのようなプレーだった。思うように調子の上がらない苦しい時期もあった吉田だが、地道に努力してきた意地が通じたのかもしれない。ロシア戦の第2エンドでは、吉田が2投とも相手のガードに回り込むカムアラウンドを決めた。小笠原が吉田の良さを引き出そうと得意なショットをさせ、吉田はその戦術に応えてみせた。

 カーリングは頭の中で描いた通りに試合が運ぶとは限らない。そこには全体を見通した小笠原の巧みな采配があった。不確定要素を上手に活用する、リスク管理の妙だった。安易にはハイリスク・ハイリターンの戦術を選択せず、一方で、必要とあらば高難度のショットにトライする。相手の嫌がる位置にストーンを配置してミスを引き出し、自分たちがミスしてもそこから何とか立て直した。

 長野五輪代表スキップの敦賀信人さんの弟で、昨年の日本選手権4位の敦賀浩司(北見協会)はこう分析する。
「2点取られたから2点取り返そうという焦った気持ちではなくて、チャンスがあったら2点を取ろうみたいな。序盤の失点は焦らずゆっくり返していこうという落ち着きが見えると思います。世界大会の常連チームが相手なので、ワンミスが1点につながるという考え方で、いかにミスを最小限にするか。プランAで考えていても、ダメならすぐにプランB、プランCに切り換えていって。それで攻めるときは攻めていました」

母親のたくましさと“常呂っ子”の勘

 目を引いたのが、窮地にこそ発揮された強さだ。取りこぼし気味の戦いが続いて暗雲が漂い始めたかと思われた矢先、世界のトップクラスとの連戦になってから、逆に尻上がりにプレーレベルを上げていった。バンクーバー五輪銅メダルの中国戦が典型的だった。後攻だった第1エンドの小笠原のラストショット。このとき小笠原はリスクを取るのは今だと直感したのだろうか。ハウス(得点エリア)の中心で隣り合った両者1つずつのストーンに対し、離れた位置の味方のストーンへの玉突きから狙うハイリスクのショットを迷うことなく選択し、相手のストーンだけをはじき出すことに成功した。以降、ピンチでも小笠原のラストショットはカッチリと決まり続け、中国は追いつく隙を見つけることができなかった。

 肝心なところで決めた小笠原の集中力。そこには、母親のたくましさとメンタルをコントロールする意識が大きく作用していた。
「遠征に行くときは、息子を預けて一歩家を出たら、そこからは母親ではなく、自分は選手なんだ、日本代表としてチームを引っ張らなければならない責任あるスキップなんだと、気持ちをカーリング一色に切り換えるんです。気持ちの切り換えという部分ではすごく上手になったと思う。プレー中も、これが決まったら子供が喜ぶだろうなということも全然考えません。息子でさえ意識を邪魔するものになってしまうという、以前にカナダで受けたメンタルトレーニングで得た考え方が身についてきました」

 さらには、日本のカーリングの聖地である北海道旧・常呂町出身者に備わった底力が発揮されたという見方もできる。トリノ、バンクーバー両五輪代表の本橋麻里(LS北見)は以前、「常呂の選手は野生の勘がある」と表現したことがあったという。それは、小さなころから地域スポーツとしてのカーリングに身近に触れていることで生まれる勘のこと。関係者が「常呂の子供はウエート(ストーンの速さ)を計るのに最初はストップウォッチを使いません。自分の体でアイスの感覚を覚えているから強いんです」と補足してくれた。

 旧・常呂町は長野五輪以降、続けて日本女子五輪代表の主要メンバーを輩出し、今大会でも岩手県出身の苫米地美智子以外が“常呂っ子”だった。人口5000人ほどの田舎町の恐るべき底力と言わざるを得ない。

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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