カーリング司令塔・小笠原歩の強さ 母のたくましさと強烈な責任感と…

高野祐太

休養宣言から8年……“有言実行の女”

最終順位は5位。吉田(右)ら若いメンバーを交えながら、長野大会に並ぶ最高成績を残した 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 小笠原の目標を貫徹する意志の強さと強烈な責任感にも注目してみる。まず、この半年のソチ五輪までの道のりがたくましい。中部電力が本命と見られていた昨年9月の日本代表決定戦を突破し、さらには中国を含む7カ国中で2位以上が必要だった同年12月の世界最終予選もくぐり抜けた。確率としては相当難しいことを達成したのだ。

 ソチ行きを決めた後、小笠原は「(日本の)五輪5大会連続出場も切らせられないし、自分1人ではなくチームや、いろんな人の思いとか人生を背負っているという責任を感じていました」と振り返っている。

 そこではたと、トリノ五輪後に船山弓枝とともに行った休養宣言が思い出される。
 チーム青森を離れる会見の場で、小笠原は「私たちは引退という言葉は使いません。また、いつかこの舞台に戻ってきたい」と語っていた。あれから8年の時を経て、その通りのことをやってのけたばかりか、7位だったトリノを上回るパフォーマンスを見せた。

 そんな小笠原の精神力はどこから来るのか。小笠原の自己分析はこうだ。
「私、よく“有言実行の女”と言われちゃうんですけど、たまたまなんですよ。確かに、自分の言ったことには責任を持たなければいけないと思うけど。そうして、自分で決めた道を全うしたいと思ってやってきて、その中で周りの人にも恵まれて、幸運にもこういう結果(ソチ五輪出場)がついてきていると思うんです」

 こうも言った。「私は道を切り開こうなんて思って青森に行ったわけでもないし、母親となって復帰したわけでもまったくない。全然パイオニアという意識はないんです。ただカーリングをしたくて一線に戻ったというだけなんです」

スキップという役割が素質を開花させた

“自然体のひたむきさ”が引き寄せる強さなのかもしれない。子供のころからリーダータイプではないようで、小笠原の当時を知る人は「子供時代は意外とおっとりしていました。ああいう精神力はスキップをするようになってから身についたのではないでしょうか」と言う。小笠原も「その通りだと思います。平和主義で争いごとも嫌だし、責任を持って何かをやるというのがもともとは得意ではなかったんです」とうなずく。

 小笠原の元来のポジションはセカンドで、初めて出場したソルトレークシティ五輪でもそうだったし、その後に青森に渡った当時もセカンドのはずだった。スキップを担うようになったのは、チーム青森でトリノ五輪を目指す過程での出来事だった。
「チームのフジ・ミキコーチからスキップをやってみないかと何回か打診されたのですが、最初はずっと『そんな責任のあることはできない』と断っていました。大変なことも見てきたし、セカンドに愛着もあって、誰かを助けることの達成感が好きだったので。でも、トリノを目指して青森に行くと覚悟を決めたのは私自身で、そこからメンバーが集まってきてくれたので、私には責任があるなと思ったんです」

 この決断が人生の岐路だった。「スキップになって、人間的に相当変わりましたね。メンタルが強くないとスキップは難しい。最初はすごくネガティブだったし、メンタルがすごく弱いと言われていたので、きつかったですね。カナダでのメンタルトレーニングもかなりやりました。よくやってきたと思います」

 眠っていた責任感の強さが、役割の大きさによって開花したということなのかもしれない。ソチでの活躍はその証明だった。

ソチでの活躍は5位以上の価値

 北海道銀行がソチで成し遂げたことには、5位という成績以上の価値が含まれている。第一に、日本女子の五輪連続出場を途切れさせなかったこと。日本のカーリング熱を冷ませないために果たした意味は大きい。第二に、世界に対して何が通用して、何が課題かを体感できる健闘だったこと。直接戦わなかった国内のライバルたちも、北海道銀行の戦いぶりを通じてそれを確認できたはずだ。今後は、北海道銀行を倒せばここまで戦える、という明確な基準ができたことになる。

 それに中国戦の勝利が貴重だった。単にバンクーバー五輪銅メダルの強豪に勝ったというだけではない。五輪の10枚の切符は世界選手権の成績で得られるポイントがもとになっており、世界選手権に出場するためには、その予選であるアジア・パシフィック選手権で2位以内に入らなければならない。アジア・太平洋地区での中国の独走を許さないことは、今後、日本が五輪の舞台を目指すために欠かせないことなのだ。そんな手土産を持ち帰った北海道銀行の、そして日本カーリング界の次の展開が楽しみになった。

<了>

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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