新生・手倉森ジャパンが示したスタイル U−22アジア選手権総括
「日本はまだまだ強豪じゃない」
U−22アジア選手権・準々決勝でイラクに敗れたU−21日本代表。今大会では守備から入る手堅いスタイルを見せた 【写真は共同】
今大会で見せた戦い方は、所信表明と受け取っていいものなのか――。
すると指揮官は「まず言えるのは、これが俺のベースということです」と答え、さらに続けた。
「守備、組織力、粘り強さ……。アジアの中ではなく、世界の中ということで考えれば、日本はまだまだ強豪じゃない。一番高められるものは守備だと思っていて、技術のある選手たちが守備力を獲得できれば、そこをベースに枝葉が伸びていき、ボールを握る日本のスタイルも確立できるんじゃないかと。逆にいくらボールを握れても、守備が脆ければ、世界では勝っていけない。この世代の選手たちに、まずはディフェンスを辛抱強くやることが日本らしさのベースになるということを気づかせられたんじゃないかと思います」
言葉は、さらに続く。
「あとはトレーニングで組み合わせを試し、コンビネーションを高めていく。次のステップではいよいよボールを握ることに取りかかれそうだな、という気がしています」
まずは守備から入る――。指揮官も語ったように、U−22アジア選手権でU−21日本代表が見せたのは、実に手堅いスタイルだった。
高い位置からプレッシャーをかけていき、ボールを奪うとショートカウンターを繰り出していく。ボランチやインサイドハーフを務めた原川力(愛媛FC)は、そこに、チームにとって最初の選択肢があったという。
「奪ったあと素早く攻めるのは、みんなの共通認識としてありました。まずは裏を狙う。それがダメだったらバランスを考えてボールを持ったりする」
徐々にポゼッションサッカーへ移行する
今大会のオーストラリアはロングボールを蹴り込んでくるのではなく、マイボールを大切にして、パスをつなぐ傾向が強かった。試合中に4−2−3−1と4−3−3を使い分け、中盤の3人がポジションを変えながら、ボールを回した。その3人に対し、アンカーの吉野恭平(東京ヴェルディ)、その前方の原川と喜田拓也(横浜F・マリノス)の3人がマークに付いた。
相手が4−2−3−1のときは、原川と喜田が2ボランチに圧力をかける。4−3−3に変われば、喜田がボランチに下がり、原川がトップ下に入って対応。こうして必ず相手の中盤3人にプレッシャーがかかるようにしてパスを遮断し、奪うと速攻を繰り出していく。中盤で起用された3人のうち、2人(吉野と喜田)が守備にストロングポイントを置く選手だったことは、指揮官が何を大事にしていたかを示すものだった。
手倉森監督は「次のステップではボールを握ることに取りかかれそうだ」と言う。
バランスの針をまずは目いっぱい、守備のほうに振り切らせ、それから徐々に、ポゼッションのほうへと傾かせていく――。こうしたチーム作りの手法は、昨年末まで率いていたベガルタ仙台でのそれと共通している。
手倉森監督が就任した08年から11年あたりまで、仙台の強みといえば、堅守速攻のリアクションサッカーだった。こうして堅実に戦ってJ1に定着すると、満を持して「ボールを握る」スタイルに着手していったのだ。
興味深いのは、ゲームプランにおいても、「まずは守備から入り、攻撃へとシフトチェンジしていく」傾向が見られることだ。
例えば、イラクとの準々決勝。「守備から入るプランだった」と指揮官も言うように、オーストラリア戦と同じ4−3−3の布陣で臨み、相手をハメようとした。結果としてイラクの勢いに押されたが、0−0で後半に入ると、早くも55分にインサイドハーフの喜田に代えて金森健志(アビスパ福岡)を右ウイングに投入。右ウイングの矢島慎也(浦和レッズ)をインサイドハーフに回す手を打った。
その狙いについて手倉森監督は「中盤で矢島に相手を外して散らす役目をさせれば、攻撃的に変わっていけると考えた」と明かした。
さらに67分には、荒野拓馬(コンサドーレ札幌)を投入して2トップに変更。ゴール前に入る人数を増やしてカウンターの色を強め、仕留めにかかった。ゴールは最後まで遠いままだったが、劣勢の試合展開にもかかわらず、指揮官が「プラン通りだった」と振り返ったのは、こうしたゲームプランを描いていたからだ。