箱根駅伝Vの東洋大を変えた最後の2カ月=学年の垣根を越えて深まった“絆”

石井安里

箱根駅伝を制した東洋大。学生駅伝5戦連続2位と悔し涙を飲んできたチームを変えた最後の2カ月とは!? 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 2012年10月の出雲駅伝から、学生3大駅伝で5大会2位が続いていた東洋大が、2014年正月、第90回箱根駅伝で頂点に立った。2年ぶり4度目の総合優勝で、記録は10時間52分51秒。5区の山上りで一時代を築いた柏原竜二(現・富士通)がいた2年前の10時間51分36秒に次ぐ、大会歴代2位の好タイムだった。

 2年前は、当時の大会記録を一気に8分15秒も縮める歴史的な勝利だったが、その記録に1分15秒まで迫った。コンディションが良くても、10時間55分を切るタイムを出すのは簡単ではない。往路は、3区の設楽悠太が区間賞でトップに立つと、4区まで大会記録を上回るハイペース。復路は7・8・10区と3区間で区間賞を獲得し、5時間25分38秒の復路新をマークした。“脱・柏原”のメンバーで、往路、復路完全優勝を成し遂げ、新たな東洋大時代が幕を開けた。

学年の垣根越えて徹底的に意見交換

 13年10月の出雲駅伝、11月の全日本大学駅伝は、パーフェクトなレースを展開した駒澤大に屈した。力負けだが、それ以上に、東洋大らしい気迫、粘り、攻めの姿勢を欠いた。

 そして、もう1つ足りなかったものがある。それは、酒井俊幸監督が駅伝を戦う上で重視している心の結びつき、“絆”だ。全日本終了後から、箱根までに残された期間はわずか2カ月。できることは限られている。選手たちはまず、学年ごとにミーティングを実施。主将の設楽啓太を中心に、各学年が全日本の敗因を挙げ、2カ月間ですべきことについて、徹底的に話し合った。その後もミーティングの回数を増やし、今度は学年の垣根を越えて、互いに忌憚(きたん)なく意見を交換した。

 回数を重ねるうちに、選手たちにも変化が表れた。今回、9区を走った2年生の上村和生は、「これまで遠慮して発言できないことが多かったけど、何かを変えていかなくてはいけないと考え、自分の思っていることをはっきり言うようになった」と話している。言葉をかわすこと、心を通わせることで、自然と団結力を高めていったのだ。

腕に書いた「その1秒を削り出せ」

8区の高久(左)と9区の上村の腕には「その1秒を削り出せ」の文字が書かれていた 【写真:アフロスポーツ】

 より深まった“絆”は、攻める走りをする上で好影響を与えた。
 今季のチームスローガンは「その1秒を削り出せ」。常に1秒を削り出そうと、闘志を前面に出していた2年生の服部勇馬が、出雲、全日本と付き添いの部員に頼んで、走る前に、腕にこのスローガンを書いてもらっていた。「苦しいときでも腕を見て頑張れるように、そして次の区間の走者にもつながるように」という思いからだった。
 また、11月の上尾ハーフマラソンの際に、勇馬の弟・弾馬が腕に落書き程度にスローガンを書いて走ったところ、好成績が出た。そこで今回の箱根でも、勇馬が何人かの選手に声を掛け、腕に「その1秒を削り出せ」と書いたそうだ。アンカーの大津顕杜はアームウォーマーをしていたため、腕に書くと文字が隠れてしまう。そこで手の甲に書いて、気持ちを盛り上げた。フィニッシュ直前に手の甲を指さしたのは、スローガンのアピールだった。

 今年度の全日本で6区を走った日下佳祐は、その敗因として後半2〜3キロでの粘りを挙げていた。しかし、今大会では、どの区間も粘りを見せることができた。みんなで「1秒を削り出す」という思いを共有してきた結果が、最後まで攻めの気持ちを失わない走りにつながった。

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著者プロフィール

静岡県出身。東洋大学社会学部在学中から、陸上競技専門誌に執筆を始める。卒業後8年間、大学勤務の傍ら陸上競技の執筆活動を続けた後、フリーライターに。中学生から社会人まで各世代の選手の取材、記録・データ関係記事を執筆。著書に『魂の走り』(埼玉新聞社)

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