ミラン本田「活躍して当然」からの出発=熱烈評価と冷ややかな視線の間で
「本田はわれわれのジョカトーレになる」
「もう公に話していいだろう。われわれは契約書をまとめ、それを今日まで公表せずにおいたが、今は言える。本田は1月3日から、われわれのジョカトーレ(イタリア語で選手の意味)になる。背番号は10番で、それも契約条項の中に入っていた。契約を交わしていたことは内密にするよう、(提出先の)イタリアサッカー協会にも申し入れていたのだが、それも今日から解くことができる。
彼はまず日本に帰り、労働ビザを取得する。6日(セリエA第18節のアトランタ戦)にデビューできるかどうかは分からない。EU(欧州連合)圏外の選手なので(短時間での書類準備は)大変難しいからだ。間に合わなければ、12日のサッスオロ戦が彼のデビューとなるだろう」
クラブは本田獲得をHPなどで公式に発表していない(ガッリアーニの上記コメントを伝えたのみ)ものの、それは3日に移籍市場が開いて、選手登録が可能になるのを待つという形式上のものだ。事実上、本田はミランに移籍することになった。
移籍決定の筋書きは夏に決まっていた
こうして最低限、1月には本田を移籍金ゼロで獲得することを確約させたミランは、欲を出して夏の移籍にも乗り出した。もっとも自らの頭上を飛び越えて移籍金収入のハシゴを外されただけでなく、すでに1月以降の移籍に合意した事実をちらつかせて、ガッリアーニが交渉の場に現れようともしない態度に、CSKAのエフゲニー・ギネル会長は心証を害した。結局、交渉は夏にはまとまらなかったのだが、そのことをもって1月以降の合意まで破棄になったというわけではなかった。10月末、冬の戦力補強について記者から質問を受けたマッシミリアーノ・アッレグリ監督は「(アディル・)ラミーと本田は1月に来る」と語っていたが、そのことが合意の事実を物語る。
ただし、「交渉にあたったクラブ(つまりミラン)は礼儀を欠いていた」と公言したギネルをこれ以上刺激しないよう、本田の契約満了までクラブとして公に発表することを控えていたようである。特に夏の間いろいろと放言が続いたガッリアーニは、CSKAとパイプがあり仲介役となっていたウンベルト・ガンディーニ渉外部長から、クギを刺されていたそうだ。だがCSKAでの契約期間中における公式戦が終了したことに伴い、紳士規定も終了した。「もうガンディーニから怒鳴られることはないだろう」とガッリアーニは語った。