千葉が密かに目指すオシム時代への回帰=J2漫遊記2013 ジェフユナイテッド千葉(前編)

宇都宮徹壱

悲願のJ1復帰を実現するために

「オシム時代への回帰」という方向性で、島田亮社長と意見の一致を見たと語る斉藤和夫TD 【宇都宮徹壱】

「絶対J1!」――これが、今季の千葉が掲げているスローガンである。代表取締役社長の島田亮に「これは社長の鶴の一言で決まったのですか?」と少々意地悪な質問を投げかけてみると、「いやいや、そういうトップダウンしないようにしているんです」と笑いながらかわされてしまった。しかし、こうも語る。

「今年は(社長就任から)2期目ですから、昨年のような失敗は許されないと感じています。去年のプレーオフ決勝は、試合が終わってしばらくは立ち上がれないくらい落ち込みましたよ。08年の奇跡的なJ1残留、そして09年のJ2降格。いずれも強烈な思い出ですが、あのプレーオフは別格でしたね。今でも夢に見ますよ。『あの敗戦は、実は夢だった』という夢を(笑)。まあ、そういうふうに引きずってしまうのは良くないですが」

 島田自身、当初は「1年でJ1に戻れる」と考えていたものの、現実は決して甘くはなかった。しかし一方で、降格から1年でJ1復帰を果たしたクラブも少なくない。果たして、今の千葉に足りていないものは何か?「技術的な部分は分からないですが」と前置きした上で、47歳の社長は自らの考えをこう語る。

「(10年の)柏レイソルにしても、(12年の)ヴォンフォーレ甲府にしても、そして今年のヴィッセル神戸にしても、レアンドロ・ドミンゲスやダヴィやポポみたいな絶対的な存在がいて、『これなら勝てる』という形と自信がありますよね。ウチの場合は、みんなで形を作って、みんなで点を取る感じ。それでうまくいっているときはいいんだけど、ちょっとしたほころびができると、とたんに崩れてしまう。ウチが一番、よりどころにしたいのは、ナビスコ連覇時代にはあった運動量。当時の良かった時代を知っているスタッフもいるので、その意味では期待しています」

 そこで島田社長が強化のトップに据えたのが、斉藤和夫TD(テクニカル・ダイレクター)である。斉藤は国際Aマッチ出場32試合を誇る元日本代表で、現役時代は三菱重工でプレー。浦和レッズでの監督経験もある(00年)。10年にヘッドコーチ、11年に強化部、そして今年からTDに就任した斉藤は、J2に降格して以降の強化のありようを最も俯瞰できる立場にあった。そんな彼も「オシム時代への回帰」という点で、島田と意見が一致したことを認めている。

「やっぱり、オシムさんが監督をしていた頃のサッカーが理想ですよね。それはサポーターやスポンサーさんにとっても同じだと思います。あの時、みんなが感じていたワクワク感をもう一度、取り戻すことはできないか。そう、社長とも話をしました。私自身、オシムさんとは一緒に仕事はしていませんが、現役時代から『日本人は自分たちの特性を生かすサッカーをすべきではないか』という思いがずっとあった。だからオシムさんのサッカーには、就任当時から注目していました。今後、このチームを立て直すためには、あの時代のように練習量を増やし、競争力を高めていくことが必要だと考えます」

「頭も疲れる」練習と「サッカーの見方が変わる」指導

オシムチルドレンのひとり佐藤勇人。オシム監督の第一印象は「とにかく怖かった」と回想する 【宇都宮徹壱】

 イビチャ・オシムが監督に就任した03年(当時はジェフ市原)から、日本代表監督就任直前までの06年半ばまでに千葉に残した数々の伝説については、すでに多くのレポートや書籍で語り尽くされている。ここでは、当時を知る現役選手とコーチングスタッフの証言を紹介するに留めたい。まずは選手を代表して、MFの佐藤勇人。

「練習は最初からハードでしたね。いろんな色のビブスを配って、ボールを回して、監督はいつも怒っている(笑)。イージーミスがあったら罰走。僕はユース育ちだから、罰走なんて初めての経験でした。選手だけでなく、コーチや通訳も罰走することがありました。最初は身体だけでなく、頭も疲れましたね。走るだけでなく、必死で学んでいるから、これまで味わったことのない疲労感でした。でも1年くらいすると、みんな慣れてきて、指示されなくても自然と身体が動くようになりました。練習だけでなく、テレビでチャンピオンズリーグを見ていても、『あそこで走っていれば』とか『あのタイミングでの動き出しが』とか、自然とオフ・ザ・ボールの動きを意識するようになっていました。その後、オシムさんが代表監督になって、千葉の選手が多く呼ばれましたが、それは自分の考えをできるだけ早く浸透させるのが目的だったんじゃないかと、今では思いますね」

 一方、ジェフ市原で現役時代を全うし、トップコーチとなって4年目だった江尻篤彦にとっても、オシムとの出会いは極めて鮮烈な記憶として今も脳裏に刻まれている。

「オシムさんの練習で特徴的だったのが『プラス・ワン』といって、3対3とか5対5とかの場面で、もう1人を付けていたんですが、なぜか選手でない僕がよく使われたんです。このプラス・ワンをどう有意義に使うのか。もちろん攻撃や守備、人数や人の配置によって目まぐるしく変化する。で、間違った動きをすると『お前は分かっていない』と罰走を命じられて、それを見ていた阿部(勇樹=現浦和)がニヤニヤ笑っているわけです(笑)。練習時間は1時間半から2時間弱でしたが、いつもアラートな状態で、われわれも選手と同じくらいピリピリしていて、頭が疲れました。それくらいオシムさんは、若いコーチにも考える力を持たせようとしていたんだと思います。あの時、オシムさんから学んだことで、自分もサッカーに対する見方そのものが変わったと思います。そしてそれは、日本代表のアンダー世代のコーチになった時にも、かなり役立ちましたね」

 2人の証言に共通しているのは、「身体だけでなく頭も疲れた」こと、そして「サッカーの見方が変わった」ことである。驚くべき速度で自らのサッカー観やサッカー哲学をチームに浸透させたことで、オシム率いる千葉はステージ優勝争いに常に顔を出すようになり、そして05年のナビスコカップでは、Jリーグ開幕以来初となるタイトルをクラブにもたらす。思えばこれが、千葉にとって空前の黄金期であった。

<文中敬称略。後編につづく>

(協力:Jリーグ)

2/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント