慶大・白村明弘 153キロ右腕プロへの確信=広島、中日がマークするドラフト1位候補

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今秋のドラフト会議において上位候補に名前が挙がる慶大・白村(写真は2010年のもの) 【写真は共同】

 ドラフト会議では毎年、東京六大学野球から多くの選手が上位指名され、プロの世界へと旅立っていく。今年も例外なく上位指名候補が並ぶ中、注目を浴びているのが、中日や広島などが目を光らせる153キロ右腕、慶應義塾大の白村明弘である。本格的にピッチャーを始めたのが中学生の終わり頃というが、その当時から139キロを記録するなど、潜在能力が際立っていた。現在も187センチと大柄な体格から繰り出される最速153キロの速球と強靭(きょうじん)な精神力を武器に、並み居る強打者を打ち取ってきた。
 10月24日に行われるドラフト会議まで1週間を切り、ドラフトへの思いやここまでの道のりなどを語ってもらった。

プロでやっていく確固たる自信がなかった高校時

――大学生活を振り返っていかがでしたか。

 山あり谷ありという感じで、良い時もあれば悪い時もあって、波は激しかったですね。でも最後の方になるにつれてその波も安定してきたかな、と思っています。2年の春と3年の秋はすごく良かったんですけど、逆に2年の秋と3年の春は全然投げられなくて。入学の時も良くて、秋はダメでと。そういう波が本当に激しかったです。

――慶應義塾高校から大学に進学したわけですが、入学前と後のギャップはありましたか。

 高校卒業前は、プロに行こうか迷っていて、(志望届を)出したら行けたとは言われていたんですけど、大学を選びました。入学してから主力としてバンバン投げていく、というのを想像していました。ただ、大学のレベルが予想以上に高くて、慶應のピッチャーを見た時、先発で出ているピッチャーも、控えもすごい人ばかりでした。付け入る隙が本当にないなと。最初の衝撃はかなり大きかったです。そこで“もっとやらないと”という焦りが先行してしまって、それで投げていたら肩を壊してしまったんです。リーグ戦では優勝しましたが、僕はベンチにも入れず、スタンドでいつも応援していて、歯痒い思いをしていました。

――高校卒業後にもプロに行けたと言われている中で、なぜ大学を選んだのでしょうか。

 正直、プロでやっていけるという確固たる自信がなかったんです。もしプロに行っても3年くらいでダメになるのなら、しっかり大学を出て鍛え直して、自信を得てからプロに行きたいなと。

――では、高校に岐阜から神奈川の慶應を選んだのはどういった理由からなのでしょうか。

 野球がダメになった時の保険と言っちゃ失礼ですけど、慶應にいれば選択肢も広がるというのがあって。野球だけやる、というのは僕自身も嫌でしたし、両親もそれは願っていることではなかった。なので“野球も強くてしっかり勉強をやる”、文武両道を貫いている高校がいいな、というのはありました。

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