慶大・白村明弘 153キロ右腕プロへの確信=広島、中日がマークするドラフト1位候補
中学時代は基本的にノーヒットノーラン
「将来が懸かっている」というドラフトに向けて、白村は秋季リーグ戦での完全燃焼を誓う 【(C)矢沢彰悟】
チーム的にはそんなに大したことはなかったんですけど、僕自身は日本代表に選ばれていて、4番でピッチャーでした。スピードも中学生の時から出ていて、139キロくらい出していました。当時から球は速かったです。でも中学校の時はバッティングの方が自信がありましたね。
――最初は野手だったんですね。
ピッチャーをやり始めたのは最後の2〜3カ月なんですよ。それまでは外野手でたまにキャッチャーをやるという感じで。やってみたら球が速かったので、ピッチャーをやろうという感じですね。
――残り2〜3カ月でなぜピッチャーをやることになったのでしょうか。
たまたまダブルヘッダーの時に、投げるピッチャーがいなくて、もともと肩が強かったというのもあって「お前、投げてみろ」と。それで、初めて投げたら132キロとか出たんですよ(笑)。ただ、監督も、もともとピッチャーをやらせた方が良いと思っていたみたいです。でも、当時は体の線がいま以上に細くて、ケガをしたらいけない、ということでいろいろなポジションをやらせてフットワークを付けて、肩も強くさせていたみたいです。
――中学生でそれだけ球が速かったとなると、打たれなかったと思うのですが(笑)。
全然、打たれなかったですね(笑)。ヒット打たれたら“うわー”ってヘコんでました。基本的にノーヒットノーランみたいな感じでした。やっていてすごく楽しかったです。
――そこでピッチャーが向いていると。
高校に入った時、監督に「どっちがやりたいんだ?」と聞かれて、「お任せします」と答えたんですよ。そしたらピッチャーだったというところです。
――プロを意識し始めたのはいつごろからですか?
ずっとです。小学校の頃からプロしかないと思っていました。
――夢から、具体的な目標となったのはいつ頃でしょうか。
高校2年生の、秋の神宮大会を優勝した時です。高校の監督から「お前、プロのスカウトからすごい評価をもらっているぞ」と言われて、それを聞いた瞬間に「自分、本当にプロに行けるかもしれない」と思って、ヘマをしなければ絶対に行けるな、という確信が生まれました。
刺激を求め、ライバルたちと交流
実は、その“友達でありライバル”という感じでLINEのグループを作っているんですよ(笑)。
そこに入っているのが九州共立大の大瀬良大地、亜細亜大の久里亜蓮、横浜商科大の岩貞祐太、国学院大の杉浦稔大、青山学院大の齋藤英輔、この6人でやっています。9月頭くらいに作りました。
――きっかけはどういうところなのでしょうか。
大瀬良とはもともと仲が良かったのがあって、その他のメンバーもそこそこ仲良しだったので、どうせならLINEでグループ作って、“みんなで刺激し合おうぜ!”という感じです。
――投手としてのライバルとしてのお話でしたが、逆に野手で強力な選手というと誰でしょうか。
法政大の河合完治です。僕、春にタイムリーを2本打たれているので印象的です。あと1個下になるんですけど、早稲田大の中村奨吾と小野田俊介ですね。この2人にもやられているので。やられた選手は覚えていますね。なので、秋に“倍返し”してやりますよ。
――最後にラストシーズンとドラフトへの意気込みと、キャリアプランを教えて下さい。
春はすごく苦しい思いをして、僕だけでなくチームも苦しんだ。なので、その悔しさを秋に晴らして最後は笑って終わりたいです。そういう気持ちでみんな練習に取り組んでいますし、僕自身も将来が懸かっているので、この1カ月半は勝負して、後悔しないようにやりたい。しっかり自分の持っているものを出しきりたいですね。
<了>
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