大分のクラブ存続と未来を見据えた強化=必然のJ2降格の先に見えたもの
逃げ切れない脆弱な守備が降格の最大の要因
6試合を残して降格が決まり、肩を落とす大分の選手たち。圧倒的な実力差を突きつけられた 【写真は共同】
10月5日のセレッソ大阪戦に0−2で敗れ、大分のJ2降格が決まった。崖っぷちに立たされたチームは、わずかな望みを信じて、懸命に戦う。圧倒的な実力差を突きつけられても必死に食らい付いたが、奮闘むなしく力尽きた。
6試合を残してのJ2降格は昨季のコンサドーレ札幌に次ぐもので、降格の原因は多岐にわたるが、何といっても守備に安定感がなかったことだろう。28節終了時点で、失点数はワーストの59。1試合あたり2.1点も失点すれば、どんなチームでも勝つことは難しい。
守備が崩壊する予兆は、開幕前からあった。即戦力として招いたDF高木和道や深谷友基、児玉新らJ1で実績のある選手にけがが相次ぎ、最終ラインのメンバーを固定できなかった。開幕から不安定な戦いは続き、白星を得るために12試合を要した。「開幕ダッシュが必要」ともくろんでいた田坂和昭監督の狙いは無残にも打ち砕かれた。特に痛かったのは先制しながら逃げ切れなかったことだ。これまで先制した試合は11試合あり、1勝4分6敗。「先制してもすぐに失点した。踏ん張り切れず、状況や時間によってプレーを変えることができなかった」と選手たちは口をそろえる。
8月には各世代の日本代表を経験した梶山陽平をFC東京から期限付き移籍で獲得。希代のゲームメーカー加入により一筋の希望が見えたかに思われた。加入直後の20節(8月10日)、柏レイソル戦は引き分けに終わったが、試合内容は格段に良く連敗を5で止めた。だが、その後の浦和レッズ戦では、3点のリードを守り切れず逆転負け。重要な一戦を落とし、つかみかけた波に乗れなかった。負けが込むにつれ、引き分けさえ許されない状況となり、点を取りにいかざるを得なくなり、薄くなった守備を突かれ大量失点。負の連鎖は続き、28試合を戦ってわずか1勝。ホームでは勝つことができず、悪夢のようなシーズンとなってしまった。
田坂監督はコンセプトに適した人材だった
「選手も監督も悔しい思いをしている。J1でリベンジしたいので1年でのJ1復帰を目指しているが、5年、10年後を見据えたクラブ経営と長期的な視点からのチーム作りも考えている」
降格を受けて、大分の青野浩志社長は、来季以降の方向性についてこう話した。そのためには継続路線で臨むという選択肢も考えられる。来季の監督人事については白紙だが、「評価している」という田坂監督と協議する方向のようだ。
2011年から指揮を執り、3年間で田坂監督が残した功績は大きい。初年度は平均年齢22.3歳と若返った戦力を鍛え上げ、昨年は見事にJ1昇格へと導いた。主力に負傷者が続出した事情もあるが、今季も為田大貴、松原健というアカデミー出身者や安川有、若狭大志らプロ2、3年目の大卒選手を積極的に起用した。
若手を育成し、J1昇格という結果も残したのだから、田坂監督は育成型のクラブである大分のコンセプトに十分マッチしている。もちろんプロである以上、たとえクラブコンセプトにマッチしていても、結果を残さなければ契約延長は難しい。クラブはどのようなジャッジを下すのが注目であるが、柳田伸明強化育成部長は、チーム強化について常々、「継続性という部分を重視している」と話す。田坂監督についても「今季だけでなく3年間のトータルで評価する」ようで、田坂監督の続投も視野に入れ、クラブコンセプトに見合う人材をリストアップしていくことになりそうだ。
その意味でもまずは来季、大分がどういったビジョンを持ってJ2を戦うかが大きな焦点となる。方向性は大別してふたつ。「1年での昇格」を目指すのか、「数年後を見据える」のか。その方針を明確にすることが、最も重要なポイントとなるだろう。