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チーム強化が実を結んだ劇的なJ1昇格
奇跡の甲府再建・海野一幸会長 第5回

再建後のチームを任せた大木監督

J2で3年連続最下位に沈んでいた甲府は、大木(写真中央)の監督就任以降、順位をあげていく
J2で3年連続最下位に沈んでいた甲府は、大木(写真中央)の監督就任以降、順位をあげていく【写真:ヴァンフォーレ甲府】

 再建1年目の2001年、ヴァンフォーレ甲府は「1試合平均入場者=3000人、クラブサポーター会員=5000人、広告収入=5000万円」という目標をクリアし、クラブの存続が決まった。ただし、チームはJ2で3年連続の最下位(12位)に終わった。


 シーズン終了後、社長の海野一幸(現会長)はヘイスに代わる監督の人選に動いた。山梨県のサッカー関係者に相談した末、地元出身のある指導者に監督就任の打診をすると、前向きの返答を得た。そこまで話が進んだ段階で、J1の清水エスパルスの沢入博志常務(当時)から意外な申し入れがあった。「次期監督は決まりましたか? もし、まだだったらウチの大木武を使ってくれませんか」


 大木は富士通でプレーした後、清水のアカデミー、サテライトのコーチを経て、トップチームのコーチを務めていた。海野とは東京農業大学出身という縁がある。清水は「いずれ大木にトップチームの監督をやらせたいが、その前に外でしばらく修行をさせたい」と考えていた。沢入は「大木に2年、やらせてほしい」と申し出た。


 基本給は甲府が持つことになるが、清水は技術顧問料として、年俸の4割ほどを負担するという。海野は先に監督就任を要請していた指導者に「清水からこういう話がきている」と打ち明け、深くわびて、大木を監督として迎える意向を伝えた。


 熱血漢で理論派でもある大木は丁寧にパスをつなぐサッカーを標榜し、02年にはわずか1年で、J2の7位にステップアップさせた。甲府は当然、続投を決めた。


 だが、沢入が「大木を戻して欲しい」と要請してきた。大木を清水の監督とし、甲府には代わりに松永英機を送るという。海野は「2年という約束だったじゃないか」と憤ったが、当時エスパルスドリームプラザがチームスポンサーだったこともあり、要求をのまざるをえなかった。


 03年、甲府の監督に就いた松永は元日本代表のFWでスター選手の小倉隆史の獲得を要求した。甲府にとっては初めての日本代表歴のある選手。小倉はファンを引きつけるとともに、この年、チーム最多の10ゴールを記録した。松永はチームを5位に導き、翌年は7位で任期を全うした。


 一方、甲府を去った大木は清水でうまくいかなかった。クラブ幹部と衝突したこともあり、就任1年目の02年11月に退任。海野の口利きもあり、川崎フロンターレのコーチとなった。

軸がぶれない指導方法

 大木は相手が誰であろうと、自分の主張を押し通す。決して軸がぶれない。それゆえ周囲と摩擦が生じることがあるが、その性向こそが大木の強みであり、魅力だろう。海野はその点を買っていた。松永の任期が切れると、すかさず大木を監督として呼び戻した。海野の脳裏には、大木らしさを象徴する当時のエピソードが刻まれている。


 05年の年頭、大木は「社長、今季の目標はどうしましょう」と尋ねた。「J1昇格を目指すんですよね」。そう言われて、海野は困惑した。存続の危機を乗り越えたとはいえ、04年の営業収入は5億8200万円。経営は盤石ではなかった。


 だから、こう答えた。「よく考えてごらん。ウチは数年前に存続の危機にあったクラブなんだ。今、J1が目標ですと言ったら、周りに笑われる。J2で基礎固めをして、ゆっくりステップアップしていくほうがいい。だから、私はまだJ1とは口にしない」。経営者の論理では、そう考えるのが常識的だろう。大木は「そうですか」と言って、引き下がった。


 おもしろいのは、ここからだ。チームの始動日に、大木は選手たちをグラウンドの中央に集めると、熱っぽく語り始めた。グラウンドを遠巻きにするフロントには聞こえない。大木はこんなふうに話したらしい。「社長の考えでは、まだJ1を狙う段階ではない。J1昇格という目標は掲げないという。でも、オレたちは戦う以上、J1を目指すぞ。分かったか」


 選手たちの胸は震えていたはずだ。一気に戦意が高まっただろう。海野の言葉をうまく利用し、短いスピーチでチームを結束させた大木の手腕は見事だ。大木はチームづくりを始めるにあたり、小倉とじっくり面談している。松永監督時代の小倉のプレーをビデオでチェックしていた。


 大木は思ったことははっきり伝える。「ビデオでおまえのプレーをすべて見た。オレはおまえのサッカーを認めないよ。足を止めて『ここへ出せ』と待っているような選手は使わない。オレはみんなで最初から最後まで汗をかき続けるサッカーを目指している。おまえもやるか?」


 大木は大物選手を特別扱いしない。特別扱いしていたのでは成立しないサッカーを目指している。それぞれが休まず動いて、次々とパスコースをつくる。パスを出したらボール保持者を追い越していく。そんな有機的なサッカーをするには、足を止めている選手は役に立たない。その思想を小倉の頭にもたたき込んだ。

再建5年目に土壇場でつかんだJ2の3位

 05年の甲府は藤田健、石原克哉、倉貫一毅、長谷川太郎らが成長し、馬力のある長身FWのバレーを大宮アルディージャから獲得していた。この年のJ2は全44節で、2位までに入ればJ1に自動昇格する。3位になるとJ1の16位との入れ替え戦に回る。


 甲府は第11節に4位に浮上すると、常に上位をうかがう位置につけていた。重要なターニングポイントになったのが第42節。11月23日、4位の甲府は5位コンサドーレ札幌と札幌ドームで対戦した。


 終了間際まで甲府は1−2とリードされ、後半の追加タイムは3分あったが、敗色濃厚だった。所用のため、札幌に行っていない海野は携帯電話で途中経過をチェックし、「もうダメだな」と観念していた。


 だが、ここから試合は劇的に動く。長谷川が同点ゴールを決めただけでなく、途中出場の須藤大輔が勝ち越しゴール。さらに相手GKのキックが味方DFの背中に当たるというアクシデントに恵まれ、須藤がとどめの4点目をものにした。電話で勝利の報告を受けた海野はにわかに理解できず、「えっ、何があったんだ」と叫んだ。


 この日、3位のベガルタ仙台が勝ったため、甲府がここで敗れていたら、残り2節で勝ち点差が4に開くところだった。だが、この奇跡的な勝利で入れ替え戦進出の望みをつないだ。


 最後の2節で仙台は敗戦、引き分けとつまずいた。対する甲府はホームで2位のアビスパ福岡に0−5の大敗を喫したものの、アウエーでの最終戦で京都パープルサンガに2−1で逆転勝ちした。この結果、最後に3位に浮上して、入れ替え戦への出場権をつかんだ。

吉田誠一(日本経済新聞社)

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