Jリーグの理念を体現する地域貢献=奇跡の甲府再建・海野一幸会長 第4回

吉田誠一

勝てない中で集客力を高める戦略

甲州リハビリテーショングループ「寿ノ家」訪問の様子。新人研修を兼ねて高卒、大卒の新人を毎年送り込む 【写真:ヴァンフォーレ甲府】

 強化資金が潤沢でない小クラブは簡単には白星を重ねられない。どうしても負けが先行する。海野一幸(現会長)が社長に就任し、再建に乗り出した2001年、ヴァンフォーレ甲府はJ2で最下位の12位、02年は7位に終わった。

 そういう中で集客力を高めるにはどうしたらいいのか。海野はこう考えた。「負けても、お客さんが来てくれる阪神タイガースのようにならなければいけない。それには、ただサッカーを見せるだけではなく、地域貢献活動を徹底的にこなすしかない」。もともと、それがJリーグの理念でもある。

 地元の小学校の体育の授業でアカデミーのコーチが指導する巡回スポーツ教室。選手が小学校で子どもたちと触れ合う学校訪問。スポンサーのはくばくの支援で子どもたちに田植え、稲刈りを経験してもらったりする食育活動。お年寄りの健康増進を図る介護予防事業。12年に選手、スタッフ、クラブマスコットのヴァンくん、フォーレちゃんらが参加した地域の祭りやイベントは396を数えた。

 地域貢献の柱としているのが、子どもたちへの食育、体育、知育、徳育で「ヴァンタス実育山梨」と総称して活動している。子どもに人気のヴァンくんはその活動の主役の1人と言っていいだろう。11年には佐久間悟ゼネラルマネジャー(GM)の発案で「ヴァンくん体操」をつくり、年30回のペースでヴァンくんが幼稚園、保育園を巡回して子どもたちと踊っている。

 体操をつくったNPO法人「ルーデンス・スポーツクラブ」(中央市)の藤本チフミ・クラブマネジャーは「1回踊れば、すぐ覚えてしまうもので、2歳児でも踊っている。ヴァン、ヴァン、ヴァンという連呼がボディーブローのように効いて、みんな甲府のサポーターになるでしょうね」と話す。
 訪問を終えたら、クラブは公式サイトの「ヴァンフォーレ日記」に子どもたちの写真を数多く掲載する。ヴァンくんに再会したくてスタジアムに足を運ぶ園児も多い。

選手にも活動への積極的な関与が求められる

 地域貢献がクラブの生命線であることは選手の頭にたたき込まれている。海野は毎年、新加入選手を含む全選手が集まる始動日に、1度は消滅しかかったクラブの歴史を話して聞かせる。「我々のクラブは地域に支えられている」と強調し、「生き残って行くには地域に根ざしていく必要がある。だから、みんなにはサッカーだけでなく、地域貢献活動をしてもらう。特にレギュラーでない選手は回数が多くなるからね」と念を押す。

 こうした活動には選手の社会教育の側面もある。甲州リハビリテーショングループの特別養護老人ホーム「寿ノ家」(笛吹市)には毎年、新人研修を兼ねて高卒、大卒の新人選手を送り込む。単なる慰問ではなく、看護師の手を借りながら、お年寄りを風呂に入れるなど介護の手伝いをする。

 寿ノ家の戸島義人理事長は「施設の利用者は選手から元気をいただいている」と感謝するとともに、「スポーツのエリートが介護の現場を見るのはムダではない。老いを身近なものとして感じ取り、1日1日を大切にかみしめてほしい」と語る。お年寄りと触れ合ううちに、選手の心に何らかの変化が起きているはずだ。

スタジアムで仲間意識が芽生える

 甲府が地域貢献活動、なかでもハンディのある子どもたちの慰問に力を入れ始めた原点と言えるのが、児童養護施設「クローバー学園」(甲州市)との交流だという。

 2歳から18歳を対象とした施設で、40人の定員は常に埋まっている。11年に60歳で退職するまでクローバー学園で20年間、保育士を務めた鶴田美代子によれば「虐待を受け、心に傷を負って入ってくる子が多いので、入園当初はなかなか心を開いてくれない」という。

 そうした子どもたちを甲府は山梨県を通して試合に招待するとともに、選手が施設に足を運んで交流会を催してきた。リフティングを披露して楽しませ、一緒にサッカーをする。
 試合の観戦に出かけると、子どもたちは喜びを素直に表現し、施設では見せない自然な姿をさらす。鶴田の脳裏には数年前、小学3年生の男子児童が甲府との交流をきっかけに大きく変わっていった様が深く刻まれている。

 2歳まで孤児院で過ごし、家庭の味を知らない子だった。コミュニケーション能力に問題があり、自分の思い通りにならないと、つい乱暴を働いてしまう。そんな子がいつしか心を開くようになった。
「スタジアムでみんなで応援していると仲間意識が芽生えるのでしょうね。人とコミュニケーションが取れなかった子なのに、ヴァンフォーレ、ヴァンフォーレと夢中になって、話の輪に入っていけるようになった」と鶴田は振り返る。試合の翌日はみんなで新聞のスポーツ面を開くようになった。

「もう30代になっている子もいるけれど、心に何らかのことが残っているでしょう」。かつて世話をした子どもたちが成長し、家族で山梨中銀スタジアムに来ているのをよく見かけるという。

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