柴村直弥、CLで優勝する日を夢見て=ウズベキスタンで奮闘する異色のDF

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単なるチームの一員じゃいけない

夢は「CL優勝」。柴村はそれに向け、日々鍛錬を続けている 【宇都宮徹壱】

――ウズベキスタンでの生活は慣れましたか?

 もう慣れましたね。ただ、いろいろな部分で困ることはあります(笑)。日本人は素晴らしいな、仕事ができるな、まじめだなというのは海外にいると感じますね。

――割とルーズなのですか?

 そうですね。約束もあってないようなものですし。チームメートがオフの前の日に「明日11時にお前の部屋に行くわ」と言ってきたので、待っていたんですよ。でも全然来ないし、電話も出ない。12時になってもつながらないし、僕はあきらめてランチに行きました。結局、その日はついに来ませんでした。それで次の日の練習で会って、「よう! 調子はどうだい」みたいな感じで(笑)。もう約束したことも忘れてるんですよ。むしろそれは彼らにとって約束でもない。

――それはひどいですね(笑)

 ただ、みんなそういうわけじゃないんですよ。別の選手で、「何時に来る」と言って、その通りに来た人もいますから。日本人でもルーズな人はいるじゃないですか。それと同じで、彼らもルーズな傾向はあっても人によって違う。だから1人ひとりと関係を作っていかなければいけないなと思っています。彼らの価値観を認めたうえで、自分の価値観も持ちながら、相手を尊重しながら接していくというのがすごい大事だなと。

――競技面のレベルはどうですか?

 サッカーのスタイルがけっこう違うので、一概に比べるのは難しいですよね。例えばポゼッション率であったり、パスの成功率、技術は日本の方があると思います。でも球際だったり、1対1でボールを奪い切る技術だったり、ボールを取られない技術はウズベキスタンの方があると思います。ウズベキスタンのリーグはJリーグに似ていて、どこのチームも同じくらいの力がある。だから今年もそうなんですけど、もつれるんですよ。

――ひとつ歯車が狂ったら前年優勝争いをしていたチームがその年は残留争いというわけですか。最近のJリーグと似ていますね

 特に最近そうなんだと思います。一時期、ブニョドコルがすごく資金を投入してリバウド(元ブラジル代表)を獲得したり、ジーコやフェリペ・スコラーリ(現ブラジル代表監督)を指揮官として招へいしたことがありましたが、そのときは外国人枠が5人だったんですよ。だからブラジル人を5人そろえてブラジル人監督を連れてきた。そのころのブニョドコルは強かったようですが、いまはそこまでのお金はありません。外国人枠も3人になり、ブニョドコルが一番強いチームではないです。

――外国人としてプレーする難しさはありますか?

 外国人枠という意識はすごく持っています。やっぱり自国の選手と一緒じゃいけない。助っ人なので、そのチームにとって確実に有益な何かをもたらさなければいけないし、単なるチームの一員じゃいけないわけです。チームを引っ張っていける存在じゃなければいけないので、例えばFWの選手だったらもちろんゴールという結果になるだろうし、DFだったらもちろん失点もそうですけど、サイドの1対1の部分で圧倒的な存在感を見せなければならない。結果が悪いと、外国人を変えようみたいな話にもなりますし。

自分ができると信じることがすごい大切

――スタジアムや練習場、クラブハウスなどの環境面はどうですか?

 基本的にはだいたい全部そろっています。ただ、歴史があるクラブハウスなんかは古かったりしますね。グラウンドもあるんですけど、ちょっとピッチが固いんですよ。その固いグラウンドで外国人選手が腰とか背中を痛めちゃう。セルビア人の選手は、よく腰とか背中を痛めてますけど「ピッチが固いからだ」と言っています。芝生の状態もグラウンドによってさまざまで、すごくいいところもあるんですけど、そうじゃないところもあります。

――ウズベキスタンでは日本人の評価は高いほうなのですか?

 そうですね。けっこう知ってますよ。僕と同世代の選手とかからだったらシンジ・オノ(小野伸二)とか言われますけどね(笑)。

――海外のチームでプレーするメリットはどう考えていますか?

 やっぱりいろんな文化を学べる点ですね。ウズベキスタンのことは行くまで全く知らなかったんですよ。イメージも沸かなかった。ウズベキスタンは、あんまり日本人が旅行に来るようなところでもありませんし、なんとなくサッカーが強いよね、くらいのイメージだと思います。休みを利用していろいろな土地にも行ったりしていますし、そういう意味で視野が広がったというのを感じます。あとはウズベキスタン人やラトビア人といったさまざまな人に対応してきたことで、適応能力みたいなものはついているなと感じます。

――簡単に約束を破るような人にも驚かなくなりましたか?

 それも分かると対応できるんですよ。「あいつは来ると言っているけど、もし来なかったらここにでも行こうかな」という感じで(笑)。対応策を考えているとそうなったときにイラッとしないんですよね。「まあ、しょうがない」と思えるんです。いろいろなことを想定できると気持ちに余裕もできますし、相手を許すこともできる。さまざまなことに寛容になれていると思います(笑)。

――海外に行ったということが自身のサッカー人生においてはターニングポイントになっているのでしょうか?

 そうですね。チャレンジしようと思って、そのときも難しいというのは分かっていたんです。それでも自分がやろうと決めてやったことじゃないですか。行くときも、好意的に「頑張れよ」って言ってくれる人と、「それは無理なんじゃないか」という感じの人もいました。でもそれは価値観の話で、やっぱりその人の価値観なんです。「できる・できない」というのはその人が思っているだけで、そこに縛られていると壁を超えられない。最後に決めるのは自分ですし、自分の価値観を作って、自分ができると信じることがすごい大切だなと。

日本サッカー界への恩返しがしたい

――日本に復帰して、日本でプレーしたいという気持ちはあるのですか?

 いまのところは全くないですね。というのも僕の夢というか目標が、欧州チャンピオンズリーグ(CL)の決勝の舞台に立って、優勝するというものなんです。それに向かって行く道をいま進んでるんですよ。日本に帰るとその道に行く最善の道にはならない。もちろんマーケットが違うという意味で、レベルの話ではないです。例えば日本から話が来たんで日本でやってみようというのは、自分の信念もそうだし、道もぶれてしまう。その道に行く最善の道を選んでいくというだけで、そう考えると物理的に日本でやるのはないということなんです。

――ウズベキスタンの方がロシアやヨーロッパに近いという意味ですね

 あっちは欧州のマーケットです。ウズベキスタンのリーグで活躍することが欧州のマーケットでも価値を高めることにもつながるんです。

――この国でプレーしてみたいという希望はありますか?

 そういうのは全くないです。というのも目標でCLがあります。例えば僕が、バルセロナに行きたい、マンチェスター・ユナイテッドでプレーしたいと言っちゃうと、そこに行く道しかなくなる。それは可能性を自分で狭めちゃうことになるんです。いま僕は30歳で、ここからCL優勝を目指すんだったら、自分で可能性を狭めてたら難しいと思うんですよ。その目標を達成できそうな感じならどこのクラブでも、どこの国でも、どんなリーグでも行きますよというスタンスです。

――CLが一番の目標と言っていますが、日本代表は特別意識しないのでしょうか?

 特にしないですね。というのも代表とは選ばれてなるもので、自分が意識したからといってなれるものではないので。自分は目標に向かってただひたすら進んでいくだけです。もしそのどこかで選ばれることがあれば光栄です。

――CL優勝という目標に近づくために、自分のこういうところを改善していきたいという部分はどこでしょうか?

 それは常にあるんです。僕はいまFKブハラというチームで、去年から今年にかけて全試合スタメンで出させてもらっています。そういう状況で、1日のトレーニングの中で、監督が信頼してくれているのも分かりますし、トレーニングで僕が何か1つまずいプレーをしたからといってメンバーから外れるわけではないんです。誰かに何か言われることもないですけど、そういうプレーをしていると目標にたどり着けないとあとから思うわけですよ。僕は自分で「目標がある」と自分を戒めることができます。本当に一日一日を精いっぱいできないなら、そんな目標を掲げる権利もない、そんな大きなことを言うこともできないと思っています。本当に改善するためにこういうことをしなきゃいけないなというのは、毎日思いますね。

――最後に1つ聞かせてください。引退後はこういうことをやりたいなという希望はあるのでしょうか?

 自分にしかできないようなことでサッカー界に貢献できたらいいなと思っています。人間として、サッカーに育ててもらったというのがすごくあるので日本サッカー界への恩返しがしたいなとは思います。

<了>

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