柴村直弥、CLで優勝する日を夢見て=ウズベキスタンで奮闘する異色のDF
ウズベキスタンでプレーする柴村に、現地での様子や、将来の目標についてなどを語ってもらった 【宇都宮徹壱】
一念発起したのは2011年の年明け、28歳のときだ。「欧州のクラブでプレーする」という夢を捨て切れなかった柴村は、自らのプレーを収めた映像を代理人に託し、売り込みをかける。するとラトビアのFKヴェンツピルスが興味を示し、練習参加ののち、晴れて正式に契約することが決まった。こうしてマイナー国とはいえ欧州組となった柴村は、その1年後に今度はウズベキスタンの強豪パフタコール・タシュケントに引き抜かれる。12年7月からは同国のFKブハラでプレーし、主力選手として、指揮官から厚い信頼を寄せられている。
現在の夢は「欧州チャンピオンズリーグ(CL)優勝」。とてつもなく壮大な夢だが、「自分ができると信じることがすごい大切」だと柴村は語る。なぜいまも飽くなき挑戦を続けるのか。ラトビアやウズベキスタンに移籍した経緯を語ってもらいつつ、柴村が持つ自身の哲学に迫った。
欧州でプレーしたいという夢があった
ラトビア時代にはEL予選に出場。国内リーグやカップ戦でも主力として優勝に貢献した 【写真:アフロ】
もともと欧州でプレーしたいという夢があったんです。ルーツをたどると、中学校の卒業式の翌日に、ミランのユースチームに留学しました。1カ月間の短期留学だったんですけど、ユースの寮に入って、ユースの選手と一緒に過ごしました。そのときにミラノダービーのボールボーイをしたんですよ。ボールボーイをしたときに選手と一緒に出ていくじゃないですか。すごい興奮しましたね。ロナウド(元ブラジル代表)がインテルにいたころです。そのロナウドが2ゴールを決めて、3−0でインテルが勝ちました。それで、自分もいつかこういう舞台でプレーしたいという夢を描いたのが最初です。
――しかし、なかなか思うようにはいかなかった
そうですね。代表どころか、年代別の代表に入ったこともなかったですし。でも欧州でチャレンジしたいという思いはずっとあったので、いつ行こうかというのはあったんです。
――ラトビアに行くことが決まったのはいつですか?
そのときは28歳になっていました。もちろんラトビアに行こうと思って、ラトビアに行ったわけではないです。欧州に行こうということで、自分で編集して映像を作成し、プロフィールも作りました。それをまとめて送って、売り込んでもらったんです。プレーを見てもらえるところ、練習参加がOKなところといった感じで。それでようやくある日、代理人から国際電話がかかってきて、「明日ラトビア行ける?」って(笑)。広島で友人たちと夕食をとっていたときでしたね。
――翌日にラトビアに行けとはすごいですね(笑)
もちろん「行きます!」と答えました。とはいえ、ラトビアなんて行き方がまず分からない。「ラトビアってどこですか、どうやって行ったらいいですか?」「いまから調べるからとりあえず発てる準備をしといて」という感じです。友人たちには「明日、ラトビアに行くことになったので帰ります」と言ったら、当然みんなは「え!? どういうこと!?」ってなりますよね(笑)。それで翌日にトレーニングして、代理人からのメールを見て、パスポートを持って関西空港に行きました。それもこっちから売り込んでいるわけなので当然自費です。最初の電話から24時間以内に日本を発ってましたね。
――ラトビアでは結局1年プレーしました。そこでプレーした経験はいまに生かされていますか?
かなりあると思います。やっぱり欧州のサッカーというのもありますし、合宿などでいろいろな国のチームと試合して、国によって違いがあるなと思いました。日本にいるときは、欧州のサッカーは激しくて、1対1が強くてというイメージしかなかったんですけど、実際にさまざまな国のチームと練習することで、国によってやチームによってスタイルも違いました。ただおおまかなところでは、球際の強さだったり、ボールを奪いにいくところだったりそういう部分は本当に違うと思います。欧州のサッカーに慣れるという意味ではすごく貴重な1年間でしたね。
こっそりと日本人対決をしていた
それは話が来たんですよ。ラトビアで1年間やって、リーグ戦やカップ戦で優勝したし、試合もずっと主力で出してもらっていたんで、そういうのが大きかったと思います。他の国からも話が来たんですけど、その中でウズベキスタンを選んだというだけです。
――なぜ、ウズベキスタンのチームを選んだのですか?
タイミングが良かったんです。まず行ってクラブを見られるというのがありました。最初に練習参加して、すぐに移籍するというのを即座に決めなくても良かった。というのもラトビアのチームとの契約がまだ残っていたんです。あと半年残っていたので、そこは慎重に進めないといけなかった。先にいろいろとばれて、法外な移籍金を要求されると移籍できなくなりますし、代理人の方が水面下でいろいろと進めてくれました。まずは練習参加で行って、トルコのホテルで合流しました。練習試合があって、シュツットガルトとも練習試合がありました。こっそりと日本人対決をしていたんです(笑)。
――岡崎慎司選手と酒井高徳選手がいたわけですね
岡崎君はそのとき肉離れをしていて、ベンチで見ていたんですよ。高徳がちょうど移籍したころで、彼も僕も左サイドバックでマッチアップはしていなかったんですが、一緒に試合には出ていました。
――酒井選手も「あれ、日本人がいる」と思ったでしょうね
そのとき岡崎君とは終わってからちょっと話したんですけど、高徳は先に帰ってしまったんです。それで去年のチャリティーマッチで、高徳と一緒になって、「あ!」みたいな感じになりました(笑)。あのあと「あの日本人は誰だ?」って調べたみたいです。それで試合の話とかをしましたね。