鈴木聡美に飛躍への試練をくれた夏=萩原智子の世界水泳2013

萩原智子

ロンドン五輪の“シンデレラガール”

ロンドン五輪でメダル3個の鈴木聡美。世界水泳では決勝すら進めず、レース後は大粒の涙を見せた 【写真:AP/アフロ】

 現在、バルセロナで開催されている競泳の世界選手権(7月28日〜8月4日)。3年後のリオデジャネイロ五輪に向けて、競泳日本も新たなチームで動き出した中、世界選手権の初日には、萩野公介選手(東洋大)が日本水泳界の歴史を変える、400メートル自由形で銀メダルを獲得した。

 昨年のロンドン五輪でも、初日から萩野選手が400メートル個人メドレーで、競泳日本チーム第1号となる銅メダルを獲得。一気に流れに乗った。その勢いに乗って、日本チームには、次々とメダリストが誕生。戦後最多となる11個のメダル獲得数を記録した。

 日本のメダルラッシュに大きく貢献した一人に、女子平泳ぎの鈴木聡美選手(ミキハウス山梨)の名前が挙がる。初めての五輪で力を発揮できない選手が多い中、同じく初出場の彼女は、練習で得た絶対的な自信を胸に、五輪の大舞台でもマイペースを貫いた。

 鈴木選手にとって、ロンドン五輪で最初の種目となった100メートル平泳ぎでは、スタート前のアクシデント(※編集部注:号令が鳴らないままスタートの合図がなるトラブル。中にはバランスを崩してプールに落ちてしまう選手もいた)にも動じることなく、銅メダルを獲得。続く200メートル平泳ぎでも、抜群の安定感を発揮し、銀メダルに輝いた。最終日の4×100メートルメドレーリレーでは、日本チームの第2泳者・平泳ぎとして、重責を果たし、見事、銅メダル獲得に結び付けた。終わってみると、日本女子では五輪史上初となる3つのメダルを手にしていた。

 一躍、世界トップスイマーへと駆け上がった鈴木選手は、その美貌から、“シンデレラガール”と呼ばれ、注目を集める存在となった。レース前後に見せるパワー溢れるガッツポーズや弾ける笑顔、何よりもインタビューでの丁寧な言葉遣いが多くのファンの心を魅了した。

多忙を極めた五輪後 環境も変化

 ロンドンから帰国後も、「聡美フィーバー」は続いた。関係者へのあいさつ回りをはじめ、地元・福岡でのパレードやイベント参加などで多忙を極め、なかなか練習に集中できない日々が続いた。本格的な練習を再開したのは、今年の1月に入ってからになる。しかし、4月の日本選手権では200メートル平泳ぎで優勝を逃してしまったものの、50メートルと100メートル平泳ぎでは貫録の優勝を果たした。

 4月からは、社会人にもなり、環境の変化を経験。月に数回、練習拠点である山梨から東京のオフィスへ出社し仕事をこなしている。鈴木選手を指導する神田忠彦監督(山梨学院大水泳部)は、「社会人スイマーとして泳いでいるだけではなく、少しでも社会の経験を積んでほしい。世間を広げてほしい」と所属先のミキハウスに願い出たそうだ。

 鈴木選手の調子は、体重の変動にも表れる。彼女は体重の変動が激しく、安定しない体質。大学入学から一人暮らしを始め、体重が約5キロ増加し、大きく泳ぎに影響してしまったこともある。その対策として、少しでも体重が増加すると、通常の練習後に100メートル30本の追加練習を行い、減量に努めた。平行して食事制限も行っていたため、「お腹が空いて泳げません」と指導者へ訴えたこともあったそうだ。苦しいダイエット計画に耐え抜き、6キロの減量に成功。泳ぎも、より滑らかになり、スピードアップにもつながった。このダイエットが功を奏し、ロンドン五輪での大活躍にもつながった。
 現在は、食事の摂取方法に気を付けたりウォーキングなどを積極的に行うことで、体重も安定している。彼女自身、甘いものが食べたくなっても、あめ玉一つだけを口にするなど、強い意識を持っている。

1/2ページ

著者プロフィール

2000年シドニー五輪200メートル背泳ぎ4位入賞。「ハギトモ」の愛称で親しまれ、現在でも4×100メートルフリーリレー、100メートル個人メドレー短水路の日本記録を保持しているオールラウンドスイマー。現在は、山梨学院カレッジスポーツセンター研究員を務めるかたわら、水泳解説や水泳指導のため、全国を駆け回る日々を続けている

新着記事

スポーツナビからのお知らせ

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント