400リレーの快挙に見た男子自由形の未来=萩原智子の世界水泳2013

萩原智子

標準記録を切れず「また世界が遠くなった」

4月の日本選手権の50メートルで日本新をマークした塩浦。6月の欧州GPで世界のスピードと技を体感してから、今大会に臨んだ 【写真:北村大樹/アフロスポーツ】

 そんな中でも、男子100メートル自由形陣は08年に佐藤が48秒91まで日本記録を伸ばし、世界の背中が見え始めた。そこで水泳連盟は現場の指導者らの意見を尊重し、08年北京五輪国内選考会で、リレー種目での派遣標準記録を設定。4×100メートルフリーリレーでは、100メートル自由形決勝上位4名の合計タイムで標準記録を突破することを選考基準の条件とした。

 国際大会の経験が少ない自由形短距離選手たちにとっては、大きな目標とモチベーションアップにつながった。しかし北京五輪、ロンドン五輪ともに派遣標準記録を突破することができず、ロンドン五輪にいたっては100メートルへのエントリーもなし。世界舞台は夢へと消え去ってしまった。「また世界が遠くなった」とも酷評された。選考レース後、スイマーたちの憔悴(しょうすい)し切った表情が、今でも脳裏に焼き付いて離れない。

 これまで世界の大舞台へ立つチャンスを勝ち得られなかった男子自由形短距離陣。その結果が、大きな足かせになっているかもしれない。自由形短距離選手は、他の種目に比べ、海外経験が少ない。海外選手との交流やレース経験が乏しいため、世界との差を肌で実感することもできないのが現状だ。

 他種目では、北島選手をはじめ、松田丈志選手(コスモス薬品)や入江陵介選手(イトマン東進)など、世界のトップ選手が日本国内に存在するため、同種目の選手たちは大きな刺激を受ける。では、自由形ではどうか。当然のことながら存在していない。
 私も現役時代、自由形短距離で勝負をしていたが、世界のトップスイマーとのレース経験が乏しく、刺激が少なかった。国内で開催されたジャパンオープンでは、肩を並べて泳ぎ、世界トップ選手との差を見せつけられショックを受けた。しかし隣で泳げるチャンスがあったことで、何度もビデオを見直し、海外選手と比較、研究をし、フォーム改造などに役立てた経験がある。

バルセロナでの経験を未来につなぐ

 男子自由形短距離陣が見せた世界への第一歩。この勢いを3年後の五輪へつなげるためにも、「自由形合宿」の継続はもちろんのこと、「自由形遠征」「自由形留学制度」なるものを立ち上げてもいいのではないかと思う。個人的に海外留学もできる時代にはなってきた。今回のリレーメンバーである伊藤選手は、4月の日本選手権以降、単身、米国短期留学を実施。海外選手との練習に刺激を受けてきた。6月には、伊藤選手、塩浦選手、小長谷選手の3人がそろって、ヨーロッパグランプリ大会に出場。3戦を戦い抜き、世界のスピードを肌で感じ取ってきた。世界の技とスピードを体感することは、非常に大きな意味を持つ。

 今回の世界選手権決勝の舞台で、世界基準を心身ともに感じ取った彼らには、今後、大きな役目が待っている。日本水泳界のためにも、日本自由形陣のためにも、もちろん自分自身のためにも、今回の経験を今後に生かしてほしい。そして後輩たちへ伝えてほしい。
 自由形短距離陣にとっての長年の夢。日本で観戦していた自由形選手たちも、皆、同じ夢を胸に刻んだはずだ。3年後のリオデジャネイロ五輪では、「自由形種目でもメダル獲得」を目指している日本水泳。男子4×100メートルフリーリレーでの五輪決勝進出は1968年メキシコ五輪以来、さらに男子100メートル自由形の五輪決勝進出となれば、1956年メルボルン五輪以来となる。

 今後、リレーでの国際大会派遣を目指すのではなく、リレーはもちろんのこと、個人種目での国際大会出場、さらには決勝の舞台でメダル争いを繰り広げる青写真を描き突き進んでほしい。今回、歴史的な第一歩を経験し、夢が目標に変わったはずだ。これまで何度も悔しさを味わってきた彼らに、もう迷いはない。悔しさを最高のエネルギーに変えて、日本自由形短距離選手たちが、新しいスタートを切る。未来に向かって。

<了>

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著者プロフィール

2000年シドニー五輪200メートル背泳ぎ4位入賞。「ハギトモ」の愛称で親しまれ、現在でも4×100メートルフリーリレー、100メートル個人メドレー短水路の日本記録を保持しているオールラウンドスイマー。現在は、山梨学院カレッジスポーツセンター研究員を務めるかたわら、水泳解説や水泳指導のため、全国を駆け回る日々を続けている

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