400リレーの快挙に見た男子自由形の未来=萩原智子の世界水泳2013
史上初の快挙の陰に関係者の努力
男子400メートルリレーで日本男子初の決勝進出の快挙。藤井(写真右上)、塩浦(同左)、小長谷(同右下)ら日本チームが見せた自由形短距離の未来とは? 【写真は共同】
予選を泳ぎ終わった伊藤選手は「日本水泳連盟の関係者に感謝したい」と、神妙な面持ちでインタビューに答えた。それもそのはず、世界選手権代表選考会となった4月の日本選手権では、男子100メートル自由形上位4名の合計タイムが、日本水泳連盟が定めたリレー派遣標準記録を突破できておらず、本当なら選考されない状況だった。しかし、現場の指導者らは、リレー種目の派遣を上層部へ強く訴えた。その結果、3年後のリオデジャネイロ五輪へ向けてスタートとなる今大会に、リレー種目でのフルエントリーを発表。自由形強化を進める上でも、大きな決断をした。
本番の世界選手権では、その期待を裏切ることなく、決勝で予選の記録を上回る3分14秒75で8位入賞。日本記録には、0.02秒及ばなかったものの、4人の若武者は、世界の舞台で十分に戦えることを証明すると共に、無限の可能性と確固たる自信を手にすることができた。
「世界で戦える自由形」を目指して強化
日本の男子100メートル自由形の歴史が動いたのは、今から8年前。2005年、佐藤久佳選手(ミキハウス、当時日本大学)が、日本人初の50秒切りを成し遂げ、49秒台へ突入(当時の日本新となる49秒71)。世界で初めて50秒を突破したジム・モンゴメリー(米国)から遅れること29年。日本水泳界が、大きな一歩を踏み出した重要な年となった。しかし当時、世界は既に48秒台へ入っており、世界の舞台で通用しない現状も思い知った。
他種目では、北島康介選手(日本コカ・コーラ)を筆頭に、日本男子の世界舞台での躍進が目立っていた。日本の自由形短距離は、「世界で通用しない種目」と酷評され、悔しい思いをしてきた選手も多い。
日本水泳連盟は、06年から「世界で戦える自由形に」をテーマに掲げ、“自由形合宿”を行い、強化を進めてきた。その合宿では、日本トップの自由形選手を集め、練習で切磋琢磨(せっさたくま)することはもちろんのこと、細かい技術などの情報交換をし、選手や指導者の意識改革も進めた。普段は、ライバル関係である選手や指導者。その壁を越えてまで、日本の自由形のレベルアップを図ろうと必死になった。このオープンマインドは、日本水泳の「チーム力」の象徴とも言えるだろう。
一方、日本水泳連盟は、01年から派遣標準記録を制定。世界ランキング8位以内の「派遣標準記録I」、もしくは世界ランキング16位以内の「派遣標準記録II」を突破した選手、なおかつ、国内選考会で2位までに入った選手が代表権を獲得する。標準記録はレベルが高いため、自由形短距離選手が個人種目で代表権を得ることができない現状もあった。