サビつき始めたシティーの誇り高い伝統=相反する歴史を刻んだ2つのクラブ
マンチェスター市の“ねじれ現象”
世界的に人気があるのはユナイテッド(赤)だが、マンチェスター市に限れば、シティ(水色)も負けてはいない 【Getty Images】
マンチェスター市は、いまや全ヨーロッパ・フットボール界の“民主的・渦の中心”と称しても過言ではない。英国最大規模を誇るスポーツメディアセンターがあり、毎年2月前後、ここにヨーロッパ全土からクラブの代表や“業界”関係者が集まって盛大な恒例年次総会が開かれる。統括評議会的色合いの強いFIFA(国際サッカー連盟)やUEFA(欧州サッカー連盟)の総会に比べて、こちらはあくまでも各国協会およびクラブが主体となって、“現場”本位の互いの絆を確かめ合う、一種の“友愛イベント”と考えればいいだろう。
では、どうして「マンチェスター」なのかというと、それはとりもなおさず前記のメディアセンターの存在があるからだが、突き詰めれば「マンチェスター・ユナイテッド」のおひざ元だからだと“要約”しても、あながち的外れではないと思う。この点に関しては歴史上のさまざまな事象、事件などが絡んで、さらに興味深い“分析”が可能だと考えているが、本稿のテーマからは脱線してしまうゆえ、また別の機会に譲ることにする。
誇りの象徴だった「メイン・ロード」
その昔、サルフォードは第一次産業革命の生産部門における“主戦場”だった。そして、ユナイテッドの前身「ニュートン・ヒースFC」は、その産業革命推進の大動脈として機能した民間鉄道会社を母体に誕生した。細かい推移や当時のさまざまな事情は省くが、要するにユナイテッドとはのっけから「労働者のクラブ」だった。言い換えれば、誕生の瞬間からユナイテッドは「被支配者層の庶民」を代表する宿命を背負っていたとも言える。
一方のシティーは、マンチェスター市内の教会が毎週日曜日に主催する市民リクリエーションが拡大発展して成立したものだ。階級的にはっきりと色分けされていたわけではないとしても、日々の生活レベルにおいて比較的余裕のある層が中心となっていったことはある程度想像がつく。それ以上に「市民の聖なる拠り所(=教会)」と全国各地から仕事を求めて流れてきた者も少なくない「多国籍企業」という対比の方が分かりやすいだろう。実際、20世紀末までシティーが本拠としてきた伝統のスタジアム「メイン・ロード」は、その名の通り、マンチェスター市のど真ん中の位置にあり、市民の誇りの象徴だった。
ところで、ユナイテッド(ニュートン・ヒース)は、ものの数年で各種経費問題をめぐって親会社から突き放され、極貧にあえぐ流浪のクラブと化して、市内のグラウンドを転々とする羽目になった。それでも、運営陣の血のにじむような努力と幸運にも地元ビール醸造企業主の後ろ盾を得てはい上がり、ユナイテッドと名を改め、たまたまにしろ、マンチェスター市郊外の「工場が吐き出す噴煙と有毒なガスなどが蔓延(まんえん)する」サルフォードの一角を選んで自前のスタジアムを建設した。それも、可能な限り贅(ぜい)を尽くして。当時国内随一の設備を誇り、“全土”からの注目を集めた「オールド・トラッフォード」である。