CLで証明した「ドイツ時代」への一歩=ブンデス2強が演出した最高の決勝戦

フランソワ・デュシャト

史上初のドイツ勢対決

ここ数年で最高の決勝は、バイエルンが終了間際のゴールで勝利し、CLを制した 【Getty Images】

 ドルトムントは試合中、さまざまな面でバイエルン・ミュンヘンにひるまぬ姿勢を示し、1997年以来2度目のチャンピオンズリーグ(CL)優勝に近づいた。だが、最終的にウェンブリースタジアムで笑ったのはアリエン・ロッベンとその仲間たちであり、バイエルンがドルトムントの夢を打ち砕いた。今季のCL決勝は非常に見応えがあり、あまりにタイトで、そしてハイクラスなものだった。ドルトムントの選手たちは、自分たちは敗者ではなく準優勝チームであると誇りを感じることができるだろう。

 ウェンブリーで披露されたドルトムントのプロ意識がどんなもので、夜空に優勝カップを掲げたのがミュンヘンのスターたちであれども、今季のCL勝者はたった一つ。決勝の舞台を最高の広告とした、ドイツサッカーである。

 ここ数年でも、最高の決勝戦だった。CL史上初のドイツ勢の激突となった決勝では、公正さとバランスが世に示された。ユルゲン・クロップとユップ・ハインケスは芝生の上で演じるチェスで、守備をチームの基盤とした。しかし、それよりも際立っていたのはスピードであった。観客は選手たちがオープンに上下動する様を目にし、両チームともにリスクを負うことを厭わなかった。

変化のきっかけ与えたユーロ2000の敗退

 ブンデスリーガは今のサッカー界にブームを巻き起こしている。UEFA(欧州サッカー連盟)のファイナンシャル・フェアプレー(編注:2011〜14年に行われる3シーズンでクラブの赤字額に制限を設け、違反した場合、欧州カップ戦出場権剥奪などの処分が下される)の施行を前にしても、その傾向はあった。満員のスタジアムに、手堅い経営と才能あふれる選手たち。ドイツ勢同士によるCL決勝は、ドイツでの成功モデルが勝利の形として現れたものである。この決勝を受けて、欧州の各国リーグはトップクラブのみならず自分自身を見直すことになるだろう。しかし、ドイツ勢がこのロンドンの決勝の舞台にたどり着くまでの道のりは、長く険しいものだった。

 ドイツ国外でよく尋ねられるのが、「ドイツがスイッチを切り替えたのはいつだったのか」という質問だ。以前のドイツは数十年にわたり、特にその精神力によって、サッカー界を力で支配。効率性と抑えられない勝利への渇望が相まって、経験豊富なドイツのチームたちを好ましからざる対戦相手たらしめてきた。だが21世紀に入った頃、この成功のレシピは賞味期限が切れた。機能しないリベロを配したエーリッヒ・リベック率いるドイツ代表が、無残な結果でグループステージ敗退に終わった00年のユーロ(欧州選手権)の後、ドイツサッカー界は完全に進む道を変えた。

 ユーロ2000の結果を受けた同年、ドイツサッカー協会(DFB)はドイツサッカーリーグ協会(DFL)を設立した。DFLがブンデスリーガの1部と2部を、そしてそこに所属するプロクラブの運営を管理した。さらに、インフラの充実を図ることでブンデスリーガは大きな発展が促された。主に厳格なライセンスのガイドラインにより、ユースアカデミーが恩恵を受け、安定化へとつながっていったのだ。

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著者プロフィール

1986年生まれ。世界最大級のサッカーサイト「Goal.com」でドイツ語版の編集長を務め、13年からドイツで有数の発行部数を誇る「WAZ」紙のサイト(http://www.derwesten.de/)でドイツ西部のサッカークラブを担当する。過去には音楽の取材もしていた。ツイッターアカウントは@Duchateau。自身のサイトはwww.francoisduchateau.net

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