Jリーグ20年は「変わったことだらけ」=松木安太郎氏が語るJ開幕と将来への提言

宇都宮徹壱

あれから20年、Jリーグの何が変わったのか?

三浦知良(左)をはじめ、スター軍団だった当時のヴェルディ。松木氏は「1試合1試合に懸けていた選手が多かった」と語る 【Getty Images】

――それから20年が経過しました。当時と今とを比べて、いろんなものが変わりましたよね。一番変わったものって、松木さんは何だと思います?

 いっぱいありますよ。変わったことだらけですね。その中でも、スポンサーの変化は大きいですよね。それこそ世界経済の流れが、胸スポンサーなどに顕著に表れていましたよね。

――ヴェルディの場合、胸と背中がコカコーラでしたよね!

 袖にはマクドナルドも入っていて、コカコーラとセットになっていましたからね(笑)。わが家にも当時のユニホームがありますよ。

――選手に関してはいかがですか? あくまでも全般的な話ですが、20年前と今とでは、どのあたりに変化を感じますでしょうか?

 うまい下手じゃなくて、個性の強い選手が少なくなったように感じています。それはチームについても同じで、全体のレベルはすごく上がっているんだけれど、各チームの特徴が顕著ではないなあと。

 あと、いい意味でも悪い意味でも、お互いをリスペクトしすぎるというか(球際などで)激しく行っていないんだよね。Jが始まった頃って、このプロリーグを成功させるんだという思いをみんなが強く持っていて、1試合1試合に懸けていた選手が多かったし、プロ化してもアマチュア的な気分が抜けないチームは勝てなかった時代だったんです。だから激しさもあった。今は、おとなしい選手が増えた印象があります。当時は自分のことよりも何よりも、その試合の勝敗にこだわるという選手が多かったですね。

――選手といえば、やはりJ黎明期の外国人選手の豪華さは、今では想像できないくらいですよね。ディアス、ジーコ、リネカー、リトバルスキー、などなど。その後は、レオナルドやストイコビッチやドゥンガなど、現役の代表クラスも来日しました

 僕が監督をやっていた頃は、ワールドカップ(W杯)で活躍していたような選手の売り込みFAXが毎日のように流れてきましたね。ただ、良い選手だからというより「有名だから獲得しよう」という雰囲気はありましたね。その一方で、当時のヴェルディにはアモローゾという若いブラジル人の選手がいたんですが……。

――いましたねえ、アモローゾ! ヴェルディではずっとサテライト暮らしだったけれど、ブラジルに戻ってブレークして、ウディネーゼでセリエA得点王(99年)、さらにサンパウロ時代に05年のクラブW杯でも優勝しています

 実は前回のW杯で久々にアモローゾに会った時、「オレはもう移籍金が高すぎて(日本に)戻れないから」なんてジョークを言われたんです。当時の日本は、まだ彼の素質をきちんと見極められるような時代ではなかったんだよね。

ロンドン五輪で優勝したメキシコに注目する理由

松木氏はこの20年でJリーグが地域に根付いてきた実感があると語る一方で、課題も挙げた 【宇都宮徹壱】

――あれから20年が経過し、日本サッカー界をめぐる状況は劇的に変化しました。日本代表は5大会連続W杯出場まであと一歩、アジアカップ優勝回数も最多4回、ヨーロッパではドイツに10人以上の日本人がプレーしていて、さらにはマンチェスター・ユナイテッドやインテルで活躍する選手が普通にいる時代です。日本代表や日本人選手が世界でこれだけ存在感を発揮できるようになったのは、やはりJリーグの20年があったからではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

 やっぱり僕は、海外との試合が増えたということと、その中でも親善試合ではなく世界大会につながる絶対に勝たなきゃいけないゲームがすごく増えた、というのは感じますよね。ただ、海外にチャレンジする日本人選手というのは昔からいたんだけど、そこでなかなか活躍できなかった選手の言葉というのは、この20年間ほとんど変わっていない。それは要するに「あっちの選手はうまい下手以前にメンタリティーが違う」と。それは、20年前から言われてきていることですね。

――そのことについては否定しません。それでも、この20年の日本サッカー界の進歩はすさまじいものがあったと思います。確かにJリーグ開幕の頃って、スタンドにも人がいっぱいいて、日本人選手も外国人選手も「千両役者」的な存在がたくさんいて、メディアでの露出や話題性も今よりずい分とありました。とはいえ日本サッカー界全体で見渡してみると、まだW杯には出場していませんでしたし、アジアを席巻するような存在でもなかったし、ヨーロッパで活躍する日本人選手もあの時点で皆無でしたから

 ちょっとJリーグの話題から外れるんだけど、去年のロンドン五輪の男子サッカーがブラジルとメキシコの決勝で、メキシコが初優勝したのが僕はすごくうれしかったんです。というのもメキシコは国内リーグが昔から充実していて、サラリーもいいので選手もあまり流出しない。ただしW杯ではなかなか上位には行けなかったんだけど、今回の五輪でようやくビッグタイトルを手にすることができた。しかもメキシコの選手って、体格的に日本の選手に近いですよね。だからそういった意味で、日本が将来的に目指すべきひとつの答えが、ロンドン五輪の決勝でブラジルに勝利した、あのメキシコじゃないかと僕は思っているんですよ。

――なるほど。もちろん日本とメキシコとでは、社会的な状況もサッカーを取り巻く環境も大きく異なります。けれども現状のJリーグが、ヨーロッパへのステップアップのリーグとなりつつあるのも事実で、その意味で去年のメキシコの快挙は何がしかのヒントになるかもしれませんね

Jリーグが今後さらに発展するために必要なこと

――93年のJリーグ開幕当時、私はすでに社会人でしたが、今回のインタビューをセッティングしてくれたスタッフは、まだ中学生だったり小学生だったりするわけです。つまり、あの時代の洗礼を思春期前後に受けた世代が、今では社会の中心的役割を果たそうとしている。この事実って、決して軽視すべきではないと思います。今から20年前、サッカーのみならず日本のスポーツ観をも大きく変えたJリーグですが、今後さらに発展していくために必要なことって、松木さんは何だと思いますか?

 ちょっと今はACL(AFCチャンピオンズリーグ)、カップ戦に代表戦も含めると、かなりの試合数です。あと、経営的に非常に苦労しているというクラブの話はあちこちで聞いていて、それが一度に吹き出す可能性はあるかもしれない。もちろんJリーグはこの20年間で飛躍したと思います。そのJリーグの魅力みたいなものは、今後も継承していくべき大切なことですね。

――確かに、これからのJリーグの目前に立ちはだかる課題というものを挙げていけば、キリがないと思います。今後もわれわれは、その点についていろいろ問題提起していくことになるでしょう。とはいえ、現時点でもJリーグが世界に誇るべき魅力って、間違いなくありますよね?

 Jリーグの良いところは、まずサポーターが素晴らしいということ。それと、地元のチームや選手たちを応援している子供たちが増えてきたことだと思います。この間、新潟に行くことがあって、地元の子供に「将来、プロになったらどこでプレーしたい?」って聞いたら、みんな「アルビレックス!」って言うんですよ。仙台に行っても同じでしたね。

――ヨーロッパや南米だったら当たり前の話ですが、少なくとも93年の日本では、ちょっと考えられない話でしたよね。当時の新潟や仙台の子供たちだったら、やっぱり将来の夢は「ヴェルディの選手」だったと思うんですよ(笑)

 そうですね。その意味では「根付いてきたな」という実感はあります。だからこそそれぞれの地方のクラブに、地元出身の若い選手や指導者がどんどん出てきてほしい。せっかくJリーグができて、20年かけてこれだけいい環境になったんだから、さらなる発展につなげていきたいですね。

<了>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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