井岡一翔の強さを支える極限の集中力

城島充

粘る挑戦者を右ボディでKO

井岡は9R、強烈な右ボディでウィサヌをマットに沈めた 【写真は共同】

 WBAライト・フライ級王者の井岡一翔(井岡)が8日、同級2位のウィサヌ・ゴーキャットジム(タイ)を9ラウンドKOで下し、初防衛に成功した。粘る挑戦者を右のボディショットで倒した王者は「伝説のボクサーになりたい」と宣言。日本最短で2階級制覇を果たしている24歳は今後、ボクシング界をどんな形でけん引していくのだろうか。

 序盤は手数が少なかった井岡がプレスを強めたのは、4ラウンドからだ。右をリードに左アッパーを放ち、それまでより回転力を増した左右のフックを叩きつける。それ以降のラウンドも右のダブルから左ボディ、あるいは右ストレートから左アッパー、最後は右をボディにと、多彩なコンビネーションでポイントを重ねた。
「内容的には納得していない。採点としては70点」と、父親でトレーナーの一法氏が振り返ったように珍しく被弾する場面もあったが、試合の終わらせ方はさすがだった。
 9ラウンド。左ボディをタイ人のレバーに打ち込んだあと、ワンツーのタイミングで右をアッパーのように拳を返したままボディの真ん中へ。下がったところへ同じ右ボディを追撃すると、大の字に倒れた挑戦者はテンカウントを告げられたあとも立ち上がれなかった。

あらゆる雑念を振り払った神経の研ぎ澄まし方

 ジムワークを見ていて驚かされるのは、その集中力だ。同じ夜にWBAミニマム級王座の初防衛に成功した宮崎亮をはじめ、ジムには多くのトップボクサーがいるが、繰り出すパンチの軌道、強弱、コンビネーションに対する神経の研ぎ澄まし方はほかの誰とも違う。あらゆる雑念を振り払ったからなのか、まるでマシンがパンチを打ち込んでいるような錯覚にとらわれてしまう。そして何より特筆すべきは、彼がそうしたトレーニングを中学時代から継続してきたことである。
 将来が期待される10代のアスリートを紹介する連載企画で初めてインタビューしたのは、彼がまだ興国高校の2年生のころだ。学校関係者から「モンチッチ」と呼ばれていた童顔の少年が「今でも亀田選手に勝てると思います」と、強気な言葉を口にしたのを覚えている。
 その後、岡山国体を取材したが、さらに鮮烈だったのは勝ち進むたび、会場の外でトレーニングを繰り返していた風景だ。ほかに誰もいないアスファルトの路上で、一法氏の指示に従って体を動かしていく。そこには勝利の余韻も、次の試合を意識した特別な対策もなかった。国体という舞台で戦いながら、親子の視線は明らかにその先を見ていたのだ。
 連載では各競技の逸材を15人近く取り上げたが、彼らが20代半ばになった今、国際舞台のトップシーンで活躍しているのは井岡と、卓球の水谷隼選手だけだ。

さらなる「伝説」を作るために――

 日本ボクシング史上最短となる7戦目での世界奪取、八重樫東(大橋)との激闘を制してのミニマム級王座統一、同じく最短での2階級制覇――わずか12戦のキャリアで記録にも記憶にも残るファイトを演じてきたボクサーが「伝説」になるには、何が必要なのか。
 極めて高いポテンシャルはすでに証明した。だが、相手の力量やスタイルによってそのポテンシャルがさまざまな形に変化するのがボクシングという競技である。
 複数階級制覇の記録も魅力だが、井岡自身が「ようやく体ができてきた」と語るライトフライ級にも、WBAスーパー王者のローマン・ゴンサレス(ニカラグア)ら世界に知られた強豪はいる。
 この日も50戦を超えるキャリアを誇る挑戦者のスタミナ、ダメージ、ガードの位置、パンチの軌道を冷静に見極め、最後に右ボディ2発で仕留めた集中力は、より危険な相手と対峙したときにさらに研ぎ澄まされていくはずだ。そんな状態で戦う井岡一翔を何度も目にしたとき、日本のボクシング史に伝説と呼ばれるボクサーが生まれるような気がする。
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著者プロフィール

関西大学文学部仏文学科卒業。産経新聞社会部で司法キャップなどを歴任、小児医療連載「失われた命」でアップジョン医学記事賞、「武蔵野のローレライ」で文藝春秋Numberスポーツノンフィクション新人賞を受賞、2001年からフリーに。主な著書に卓球界の巨星・荻村伊智朗の生涯を追った『ピンポンさん』(角川文庫)、『拳の漂流』(講談社、ミズノスポーツライター最優秀賞、咲くやこの花賞受賞)、『にいちゃんのランドセル』(講談社)など

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