FAカップが紡いだ歴史の価値=東本貢司の「プレミアム・コラム」

東本貢司

由緒と価値が共存するFAカップ

今年で132回目を迎えるFAカップ。昨季はチェルシーの優勝で幕を閉じた 【写真:ロイター/アフロ】

 世界最古のフットボールトーナメント「FAカップ」は、1871年7月、専門紙『スポーツマン』のエディター、C・W・オルコックなる人物がFA(イングランド協会)に提案する形で始まったとされる。後年、フランス『レ・キップ』紙の主幹ガブリエル・アノーの提唱でヨーロッパ・チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ=CL=)が産声をあげたように、そもそもの発想点はメディアの話題づくりにあったことがしのばれる。

 かくして、同年11月11日に記念すべき「4試合」の笛が吹かれ、歴史のページが開かれた。このときの大会名称はシンプルな「チャレンジ・カップ」。現在の正式名「FAチャレンジカップ」はその名残、というよりも古来の縁(えにし)を今に伝える意思と言うべきだろうか。この辺りはいかにもイングランドらしい。

 ちなみに、4部92チームのみが参加するリーグカップは、そのときどきのスポンサーの名を冠して呼ばれるが、こちらの“全国トーナメント”はあくまでも「FAカップ・スポンサード・バイ・○○」である(現在なら「○○」には「バドワイザー」が入る)。これもトーナメントの由緒と価値に敬意を表した上での、プライドの証明だろうか。

 当然のことだが、この第1回FAカップの規模は実につつましいもので、参加を申し込んだのがわずかに15チーム、実際にプレーしたのは12チームで、決勝までの試合数もたったの13試合だった。そう言えば、第1回ワールドカップ(W杯)・ウルグアイ大会も13チームで戦われたことが思い出される。それが今や、予選段階を含めた参加チーム総数が700から1000前後にまで膨れ上がって、文字通り「世界一」のステータスを誇るトーナメントになったのだ(2011−12シーズンのデータでは763チームが参加)。

 ただ、今世紀に突入する前後から、FAカップを軽視する風潮が強くなっているきらいもあり、時代の流れとともに一抹の寂しさを感じないでもない。もっとも、“その主たち”はおおむね「より金銭的に価値のあるCL参戦組」に限られている実態がある。むしろ“そのような風潮”を(メディアやファンなどが)声にすることによって、「冗談じゃない」とアピールしていると考えるべきだろう。

ジャイアントキリング“発祥”の大会

 いずれにせよ、これほどに長尺の歴史を誇るトーナメントならばこそ、珍しい記録やエピソードには事欠かない。例えば、初期のころにはウェールズやスコットランドのクラブも随時参戦して、それなりに目を引く実績も残していたりする。

 現在も、カーディフ、スウォンジー、レクサムなどウェールズから5〜6チームが参加しているが、現チャンピオンシップ(イングランド2部に相当)のカーディフは、史上唯一の「非イングランド勢」の優勝というレアな快挙を成し遂げている(1927年)。また、こちらも史上に1度きり「ノンリーグ(5部以下:事実上のアマチュアリーグの総称)勢」としてFAカップを制覇したのは、スパーズことトテナム・ホットスパーだった(1901年)。

 連覇で検索してみると「3連覇」が最高で、この名誉に与るのは(当然と言うべきか)初期のワンダラーズ(第1回覇者)とブラックバーン・ローヴァーズ(1884〜86)。2連覇でもワンダラーズとブラックバーンが1度ずつ、それ以外ではニューカッスル(50年代初頭)、スパーズが2度(60年代と80年代の各初頭)、2000年代にはアーセナルとチェルシーが果たしているのみ……。そもそも、このFAカップこそ、いわゆるジャイアントキリング“発祥”の大会というべきなのだから、さもありなんか。

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著者プロフィール

1953年生まれ。イングランドの古都バース在パブリックスクールで青春時代を送る。ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ケヴィン・キーガンらの全盛期を目の当たりにしてイングランド・フットボールの虜に。Jリーグ発足時からフットボール・ジャーナリズムにかかわり、関連翻訳・執筆を通して一貫してフットボールの“ハート”にこだわる。近刊に『マンチェスター・ユナイテッド・クロニクル』(カンゼン)、 『マンU〜世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ』(NHK出版)、『ヴェンゲル・コード』(カンゼン)。

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