FAカップが紡いだ歴史の価値=東本貢司の「プレミアム・コラム」
FA史に刻まれる“どん底のユナイテッド”
1999年の準決勝・アーセナル戦で決めたギグスのドリブルシュートは歴史に残るスーパーゴールだった 【Man Utd via Getty Images】
しかし、ユナイテッドのFAカップ戦史にあっては、かつてはほぼ全土のファンの注視、というよりも“シンパシーの大声援”を浴びた空前の「約3カ月間」――1958年2月の4回戦から決勝までの、極め付きのエモーションに優るものはないかもしれない。
ここではコンパクトに、その記憶をたどることに留めよう。そう、あの「ミュンヘンの悲劇」で8名もの主力を失った“どん底のユナイテッド”が、事実上の奇跡的な快進撃で対ボルトンの決勝に駒を進めた一連のゲームのことだ。
結局、当時の大スター、ナット・ロフトハウス以下のベテランで固めたボルトンに0−2で破れはしたが、このとき、ユナイテッド・イレヴンが身に付けていた特別製のユニフォーム、つまり「不死鳥のエンブレム」を胸にあしらったシャツは、天才ダンカン・エドワーズをはじめとする今は亡き魂にささげるしるしであり、共に戦う証しでもあった。
不滅のウェンブリー記録
公式記録上の観客数は12万6047(もちろん、これは不滅のウェンブリー記録)とされているが、実際に詰めかけたのは優に20万人以上。しかも、溢れ出した観衆がフィールド(当時はまだ、ピッチを囲むフェンスもなく適当に“縄張り”した状態だったとか)を占拠したしまったため、キックオフは予定より40分も遅れた。
そこへ登場したのが今や語り草となっている、“白馬に乗った王子様”ならぬ1人の警官ジョージ・スコーリー。彼はたったひとりで羊の群れを追うシープドッグよろしく、観客たちを速やかに“スタンド”へ追いやったという。
言うまでもないことだが、以上の出来事はあくまでも資料をもとにかいつまんだものであって、筆者も数葉の写真のみでしか見たことがない。ゆえに“借り物の感傷と想像”の範囲内にしかなく、そもそも肝心のゲームそのものを語るすべもない。
最高の興奮と感動に体が震えるサッカー
当時のチェルシーには、アイルランド共和国出身者を除いて外国人ゼロ(もっとも、ほぼ全チームでそれが“常識”だったのだが)。ただし、対するリーズの主力は大半がスコットランド人だったし、チェルシーのメンバーのほとんどが当時ではまだ珍しい“ロックミュージシャン風”長髪を振り乱していたこともあって、実に新鮮な印象があった。
いや、そんなことを抜きにしても、凄絶(せいぜつ)きわまりない“肉弾戦”と点の取り合いに片時も目を離せず、まさにかたずをのみっぱなし。ふと、今あらためて振り返ると「よくぞあの時代に」と感心してしまうくらいの、文字通りのスリルとスピード満点の真剣勝負だったと思う。
カップ戦のファイナルともなると、勝ち負けに天地の差ほどの価値が生じるからか、守備に意識が偏ってじりじりとした展開になりがちなものだが、この「リーズvs.チェルシー」はその対極にある、超のつく攻め合いに終始していたからすごかった。そして、この“初期体験”はそのまま、筆者のイングリッシュフットボールに抱く原風景となってきた。
というわけで、最高の興奮と感動に体ごと震えるサッカーを目撃したければ、文句なしにカップ戦に限る。それも、決勝ではなくそれに至るまでのカードにより真価がある。さらに言うならば、イングランドの、つまりFAカップこそ、その極上の機会を提供してくれる。プレミア勢同士よりも、めったに耳にしない名前のチームが格上に挑戦するゲームにも掘り出し物は数多い。そこに、FAカップの魅力がある。
その意味では、準決勝や決勝のみではなく、できるだけ若いラウンドからライヴで楽しめるのが望ましいのだが……。その日が再び戻ってくるのを楽しみにしたいものである。
その上で、せっかくだからマンチェスター・ユナイテッドに順調に勝ち進んでもらって、香川真司がこの由緒あるトーナメントを肌で実感する機会が増えればいいと思う。そして、その機会が“名もない不気味なチーム”であればなお“ふさわしい”。
<了>