権田修一、練習参加で高まる欧州移籍への意識=日本人GKがセリエAでプレーすることは可能か

神尾光臣

障壁となるEU圏外国人選手登録制度

ベローナの練習に参加した権田。「いつかイタリアでプレーしたいというのはある」と自身の願望を明かしている 【写真は共同】

 昨年5月、リールスとの契約を満了した日本代表GKの川島永嗣。5月末、その代理人であるイタリア人エージェントのアンドレア・ダミーコは、セリエA移籍を最優先に暗躍していた。

「イタリアでのプレーは彼の夢だ。エイジ(川島)は国際経験を十分積んだGKだし、人間的にも素晴らしい。イタリアには優秀なGKを輩出する伝統があり、確かに競争は激しい。だがインテル(現QPR)のジュリオ・セーザルら、第3GKから登り詰めた外国人選手の例もある」

 元ミランのジェンナーロ・ガットゥーゾを始め、有名選手を抱える大物。イタリアのメディアにも積極的に川島を接触させ、またミランにもコンタクトを取るなど、彼は選手の希望をかなえるべく懸命に動いていた。ただ、1つの障壁があった。セリエAの厳しいEU(欧州連合)圏外国人選手登録制度だ。

 外国人労働者の入国定数を定めた移民法に合わせる形で、2003年7月からは毎年1名ずつの新規獲得しか認められなかった(ただし昇格チームに関しては最大3人まで可能)。08年には所属選手1名を海外リーグへ放出するという条件で最大2名の獲得まで可能になったが、10年7月からは再び規定変更。獲得選手は1名まで、その場合所属選手1名を必ず放出しなければならなくなったのだ。「これでは国際試合での競争力が保てない」と各クラブの反発を呼び、翌年から“交換”の上限は2名に増やされたが、いずれにせよ少ない。

 そうなれば当然、獲得枠の扱いは慎重になる。2年半前、チェゼーナが長友佑都(現インテル)を獲得した時でさえも「貴重なEU圏外国人枠を使ってなぜ日本人のサイドバック?」と、地元記者が批判した。それがGKというポジションになればなおのこと。各クラブの登録人数は3〜4名、しかも1度正GKを決めてしまえば替えにくい。縁戚にルーツがあり、欧州国の国籍が取れる南米人ならまだしも、EU圏外国人枠をここに費やすのは、クラブにとって覚悟を要する。

 結局、昨夏に川島獲得へ手を挙げるクラブは現れなかった。日本代表不動のGKで、取材に当たったイタリア人記者が舌を巻くくらいイタリア語が堪能であっても、だ。

他のGKと遜色ない動きを披露

 GKにとってセリエAは狭き門。しかし12月、1人の日本人選手がシーズン後、練習生としてイタリアの地を踏んだ。ロンドン五輪男子代表の正GK、FC東京の権田修一だ。ドイツ・シュツットガルトでの練習を経て、16日からセリエBのエラス・ベローナの練習に参加。権田にとっては09年、ジャンルイジ・ブッフォン(現ユベントス)を指導した名伯楽エルメス・フルゴーニコーチの指導を受けて以来、2度目の来訪である。

 20日、練習の様子を取材させてもらった。GKの練習は、戦術上必要としない限りは別メニューだ。権田はエルメス・モリーノGKコーチの元で、トップチームに所属する3人のGKに混じり、同じ練習をこなしていた。

 10分ごとにメニューは変わる。ポストに立たせ、2タッチでパスを裁く足技の練習。その後はセービングの練習。キッカーを2人置き、1度目のキックをセーブしたのち、体勢が整う前に間髪入れずにもう2人が蹴り、そのボールにも反応。高めもあれば、グラウンダーもありと、球種も細かく変わる。

 途中からはサッカーマシンも登場した。エリア外20メートルほどの位置から、強めのボールを放つ。無回転やグラウンダーなど球種もさまざまに変え、その後は距離も30メートルほどに伸ばして、キャッチングの練習。その後、チームの全体練習に参加し、1時間半程の練習を終えた(全体練習部分はチームが試合を控えていたため非公開)。

 端から見る限りにおいては、権田の動きは他のGKと遜色(そんしょく)ないように見えた。日本ではトップカテゴリーで活躍するGKだ。「GKとしての技術やフィジカル面について興味深く見ている。もう少し直感や身体能力に頼っていい場面もあるようには思えるが、敏しょう性と技術にはいいものがある」とモリーノGKコーチは権田の印象を語っていた。

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著者プロフィール

1973年9月28日、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語イタリア語学科卒。97年の留学中にイタリアサッカーの熱狂に巻き込まれ、その後ミラノで就職先を見つけるも頭の中は常にカルチョという生活を送り、2003年から本格的に取材活動を開始。現在はミラノ近郊のサロンノを拠点とし、セリエA、欧州サッカーをウオッチする。『Footballista』『超ワールドサッカー』『週刊サッカーダイジェスト』等に執筆・寄稿。まれに地元メディアからも仕事を請負い、08年5月にはカターニア地元紙『ラ・シチリア』の依頼でU−23日本代表のトゥーロン合宿を取材した。

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