末續慎吾、再始動からの1年 再び宿った「走りたい」気持ち

折山淑美

五輪後の長い休養を経て本格復帰

長い休養を経て、再び走り出して1年。末續慎吾の現在は―― 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 2008年北京五輪4×100メートルリレーで銅メダルを獲得して以来長い休養に入っていた末續慎吾(ミズノ)が、再び始動し始めたのは昨年10月。地元熊本市の水前寺陸上競技場で行われた記録会だった。記録は10秒87。その平凡なタイムが第一歩だった。

 年が明け、五輪イヤーとなった今年、4月末にアメリカでレースを走った末續の本格的な復帰の舞台となったのは、5月19日の東日本実業団だった。ロンドン五輪代表選考会でもある日本選手権の参加標準記録は100メートルが10秒45で200メートルは21秒00。五輪出場の可能性をつなぐためのラストチャンスでもあった。
 当日はあいにくの向かい風。予選は1.9メートルの風を突いて同走の高平慎士をゴール前で交わして10秒84で1位通過した末續は、2.8メートルと向かい風が強くなった準決勝では10秒78までタイムを上げた高平に次ぐ10秒83の2位で決勝進出を果たした。
 だがやっと追い風になった決勝では、スタートで出遅れると50メートル過ぎで左内転筋がけいれんしたためにスピードダウン。11秒77の8位でゆっくりゴールした。
 それでもレース後の彼は「疲れましたね。4年ぶりの一日3本のレースだったから、体がビックリしたんでしょうね」と、明るい表情を見せた。

「4年ぶりの試合だったし。自分がどんな気持ちで走れるかなと思っていただけで、具体的な目標設定はなかったです。予選から全力だったし決勝は強度の筋肉のけいれんだったから、レースの途中で無理だと思って止めました。今日は走れなかった日々を思い出しながら楽しもうと思っていたから……。3本ともしっかり走れた訳じゃないけど、自分の中では気持ちは晴れていますね」

「走りたいと思えるようになったことに価値」

 走り自体を見れば、スピードに乗ってからはかつてと同じようなしなやかなフォームだったが、スタートはまだ全力では出られていなかった。本人もそれを承知し「スタートらしいスタートではなかったが」という問いには「やっぱり分かりましたか」と照れ笑いで応える。まだ全力で飛び出すことへの怖さもあったのだろう。

「4年前に走ることから離れた時は、走りたいとも思わなかったんです。あの気持ちから、また走りたいと思えるようになったことに価値があるので。去年からは試合に出ることや練習をすることがうれしかったんです」

 以前、末續から「陸上と一生付き合い続けるという覚悟は決まりました」と聞いたことがある。それを思えばやっとここまできてくれたか、という感動もある。結局、彼は脚の状態が思わしくないために翌日の200メートルは棄権。ロンドン五輪出場の可能性は完全に途絶えたが、彼がまたひとりの遅いスプリンターというレベルから挑戦し始める第一歩だった。

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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