変わらずに「成長」した福原愛のすごさ=卓球

城島充

北京からロンドンまでの4年間

まっさらな状態からスタートを切る福原愛の、その一歩一歩に注目していきたい 【Getty Images】

 銀メダルを胸にかけた福原愛(ANA)は、笑ったあと泣き、泣いたあとでまた笑った。その笑顔と涙を見ていると、過去に何度かインタビューしたときの言葉が甦(よみがえ)ってくる。

「今回はメダルを獲りにいく準備をして臨みます」
 ロンドン五輪開幕を2カ月後に控えたころ、あるスポーツ総合誌でインタビューしたときに福原はそう言い切った。
「北京はメダルを獲りたいと言ってましたが、本当に獲れるかどうか不安で、その不安がメダル決定戦で悪い方へ出た。でも、今回は違います」と。

北京五輪後、メダル決定戦で敗れた韓国戦の写真をナショナルトレーニングセンターの練習場の壁に貼っていたことはよく知られている。だが、その悔しさを胸に刻んだだけで乗り切るには、4年の歳月は長すぎる。
 北京からロンドンまでの4年間、彼女の成長をあえて一つのキーワードでくくると、それは「自立」ではないだろうか。

 北京を終えてすぐ、福原は20歳になった。「天才卓球少女」と騒がれ、普通の子供とは違うことを自覚しながら10代を過ごしてきた彼女は「20歳になって大きな責任を背負うのと同時に、いろんな世界が広がって卓球の軸が少しだけぶれたんです」と言った。

全日本選手権での初優勝

 迎えた09年4月の世界選手権横浜大会は、大きな試練の場となった。シングルスでまさかの2回戦敗退。その後、10年間指導を受けてきた張莉梓コーチが出産のためにチームを離れたことも福原を追いつめた。
「それまでは張さんが進むべき方向へ矢印を出してくれたので、私はそれに従えばよかった。いかに恵まれた環境で卓球をできていたか、張さんがいなくなって痛感しました」

 さらに上を目指すには、なにか新しいことに取り組まなければならない。その意識は常にあったが、1人ではなかなかその答えが見つからない。北京五輪前に9位だった世界ランキングも、31位にまで後退した。
 もし、そのまま崩れていれば、ロンドンのコートに福原は立てなかっただろう。
「でも、一人で考えて練習したり、自分に足りないものを見つめることがものすごくプラスになったんです。張さんが戻ってきてくれたとき、以前は何を言われてもうなずくだけだった私が、張さんにはっきりと自分の意見を言えるようになりましたから」

 再び張との二人三脚が始まったが、そこには自立した福原がいたのだ。自らの意志でフィジカルを強化し、課題とされたフォアハンドを徹底的に鍛えた結果、オリンピックイヤーを迎えた今年1月の全日本選手権で女子シングルス初優勝。「ずっと勝てなくて肩身の狭い思いをしてきた」という大会を圧倒的な強さで制したのだ。

 福原は以前から「個人戦よりも団体戦のほうが燃える」と口にしてきた。「一人で勝つより、チームで勝ったほうがうれしい」と。その言葉を聞くたび、目の前にいるアスリートに足りないのは、他人をおしのけても勝ちたいというアスリートのエゴに近い自我ではないかと思っていた。だが、彼女は初優勝を飾った全日本の表彰式で、以前と少しも変わらない心情を見せた。

 皇后杯を高く掲げて笑ってほしい――というカメラマンの要求を拒否したのだ。後で理由を聞くと、こんな答えが返ってきた。
「だって、全日本で勝てない悔しさを誰よりもわかっているのは私ですから。負けた選手たちのことを思うと……」

いったん結実した母子の物語

 常に他人の視線にさらされてきた福原は、他人の感情を過敏に意識してきた。その感受性は競技にマイナスではないかと思っていたが、自立した彼女はその感受性を失わないまま強くなった。「成長」という言葉にはどこか「変化」と重なる響きがあるが、彼女の場合は少し違う。今回の銀メダル獲得の背景には彼女の卓球のめざましい進化があるが、福原愛が福原愛のままこのレベルにまで自らの卓球を高めたことに、より強い感慨を覚えてしまう。

 あれは2年ほど前のインタビューだった。福原の卓球が守備的と言われるのは、幼少のころに母親と繰り返した千本ラリーが影響している。千本ラリーは一本でもミスをすると最初からやりなおしだ。だから、ミスをしない意識がなによりも強く植え付けられたのではないか。その質問を投げたとき、ふだんは柔和な彼女の表情が固くなった。そしてこう言ったのだ。

「おかあさんとの千本ラリーがあったから、今の私はいます」
 その強い言葉がずっと胸の底にあったからだろうか。母親の胸に銀メダルをかけるシーンに胸が熱くなった。

「似合ってる?」
「うん、すごく似合ってる」
 テレビの映像から聞き取れたのはそんな短いやりとりだけだったが、この瞬間、国民注視のなかで紡がれてきた母子の物語はいったん結実した。これからはすべての重圧から解放され、まっさらな状態からスタートを切る福原愛を見ることができる。
 いきなり4年後を見通すのではなく、その一歩一歩に注目していきたい。

<了>
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著者プロフィール

関西大学文学部仏文学科卒業。産経新聞社会部で司法キャップなどを歴任、小児医療連載「失われた命」でアップジョン医学記事賞、「武蔵野のローレライ」で文藝春秋Numberスポーツノンフィクション新人賞を受賞、2001年からフリーに。主な著書に卓球界の巨星・荻村伊智朗の生涯を追った『ピンポンさん』(角川文庫)、『拳の漂流』(講談社、ミズノスポーツライター最優秀賞、咲くやこの花賞受賞)、『にいちゃんのランドセル』(講談社)など

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