順風満帆ではなかったプロサッカーの船出=Jリーグを創った男・佐々木一樹 第2回
広報の「いろは」を教わる
1993年の清水エスパルスvs.鹿島アントラーズの対戦(日本平)。試合に臨むジーコ(写真左)。 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】
「いきなり広報室長という役割がついたけれど、とりあえずおまえやっておけといった感じでした。専門に広報というものを勉強したことはありませんでしたから、正直、どうしていいのか、まったく分からなかった。ただ単純に、多くの人に試合を見に来てもらうにはどうしたらいいか、どんな点をアピールすべきか、そのためにどこから変えていくか、お願いしていくかなど、考えました。学生時代からお世話になっていた共同通信の小山敏昭さんや、NHKの松浦徹さんをはじめとしたメディアの人たちに、飲みながら教えてもらいました。こういうふうな情報の出し方をすれば書きやすい、掲載されやすい、こんな出し方では書かないぞなどと、具体的に教えてもらったことが役立ちましたね」
最初の公式戦「ヤマザキナビスコカップ」
開幕戦は、鹿島アントラーズ対横浜フリューゲルス(茨城・笠松運動公園陸上競技場)、名古屋グランパスエイト対清水エスパルス(愛知・名古屋市瑞穂球技場)、浦和レッズ対ジェフユナイテッド市原(埼玉・大宮公園サッカー場)、ガンバ大阪対横浜マリノス(兵庫・神戸市立中央球技場)、そして翌6日にサンフレッチェ広島対ヴェルディ川崎(広島・県総合グラウンド・メインスタジアム)。
翌93年のJリーグ開幕以降に使用されるホームスタジアムは改装中あるいは建設中で、この大会では使用することができなかったのだ。その開幕の日、試合後に配布された公式記録には、驚くべきものがあった。観客数の実数が記載されていたのだ。
なぜこれが「驚くべきもの」なのか。
日本のスポーツ界では、観客数は「概数」が発表されていた。それが古くからの慣習だった。入場者を1人の単位までカウントするのではなく、「だいたいこんなもの」と担当者の判断ひとつで決められ、発表されていたのだ。
主催者の見栄なのか、イベント価値を高めるためなのか、それは次第にエスカレートし、当時6万人の定員だった東京・国立競技場でのプロ・スポーツのイベントで「8万人」と発表されたこともあった。プロ野球のある球団は、4万7,000人の収容力しかないのに、長い間、試合ごとに「5万6,000人」と発表していた。
サッカーでも、JSL時代は同じだった。担当者がスタンドを見上げて「うーん、きょうは3,000人」などとやっていた(実際には1,000人程度だっただろう)。JSL全27シーズンの総観客数は973万9,110人ということになっているが、実際に何人が試合を見にスタジアムを訪れたのか、いまとなっては知るすべもない。
実数発表の意味
最初は半券(入場券から入場時にもぎとった部分)を集めてビニール袋に入れ、試合の後半が始まってからずっと数えていた。雨が降ると半券がぬれて張りつき、本当に大変だったという。
「概数」なら「1万」としてもいい雰囲気の試合でも、「実数」にすると、たとえば6,836人などという数字が出てしまう。プロのイメージを傷つけないかという懸念があっても当然だったが、クラブの運営担当者たちからは、「そこから本当に1万人を超せるよう努力していくのがプロじゃないか。ウソの数字を並べても、成長することはできない」という強い意見が出たという。
茨城・笠松5,226人。
愛知・瑞穂8,029人。
埼玉・大宮4,934人。
兵庫・神戸4,728人。
そして広島・総合1万3,861人。
これが日本の「プロサッカーリーグ」の船出だった。
<第3回に続く>
本コラムは、2012年12月まで毎月1回掲載する予定です。
(協力:Jリーグ)