“上向き”なポーランドが迎えた初戦のドラマ=ポーランド 1−1 ギリシャ

長束恭行

目にしたポーランド国旗は数百本

高揚感に包まれるポーランド。現地サポーターも開幕を待ち焦がれていた 【長束恭行】

「ポーランド人はハッピー。ウクライナ人はハッピー。なぜなら、わたしたちみんなのため、ここでユーロ(欧州選手権)が始まるから」

 これは、ポーランドのユーロ公式ソング「KOKO EURO SPOKO」の歌い出しだ。歌い手は、ポーランド南東部コツザ・グルナ村出身の34歳から82歳の女性たちによって結成されたフォークグループ「ヤルジェビナ」(“ナナカマド”の意)。ポーランド全土の老若男女が2012年6月8日を待ち焦がれていた。

「ココ、ココ(鶏の鳴き声)、ユーロ、スポコ(“クール”の意)! ボールはとても高く飛ぶよ。さあ、皆一緒に歌って、わたしたちの選手を応援しましょう!」

 2007年4月にカーディフで行われたUEFA(欧州サッカー連盟)理事会で、誰もが予想しなかったウクライナ・ポーランド共催が決定して早5年。ウクライナより一日早く開幕を迎えたポーランドは、特別な高揚感に包まれている。わたしの住むヴィリニュスから車を3時間走らせれば、ポーランドとの国境を越える。そこからワルシャワまでの5時間半のドライブで、片田舎だろうと首都だろうと、車に取り付けられたポーランド国旗を数百本は目にしてきた。あるポーランド人は一カ月前から国旗を取り付けていたに違いない。ハンドルを握るとスピード狂になる国民だけに、風圧ですっかり擦り切れてしまった国旗も数多くあった。

憂いの歴史を抱えてきた国

ワルシャワのランドマーク、文化科学宮殿とポーランド国旗を持つ少年 【長束恭行】

 ポーランドを包む高揚感の要因は、ユーロ開催だけに限らない。EU(欧州連合)からの多額の資金援助と個人消費力の伸びによる内需拡大で国内経済は好調。国外脱出した労働移民は祖国に帰還を始め、09年にはEU圏で唯一プラス成長を果たした。一人当たりGDP(国内総生産)はEU圏で下から数えたほうが早いが、3,820万人の人口を誇るだけにその市場は大きく、国全体のGDPはEU圏7位のスウェーデンと匹敵する(3700億ユーロ=約37兆円)。昨年7月にはEU議長国に初めて就任。もはやポーランドにかつての従属的意識はない。

 中東欧では大国として位置づけられるポーランドは、憂いの歴史を抱えてきた国でもある。18世紀にはロシア、ハプスブルク、プロイセンによる三分割で国が消滅。第一次大戦後に再独立を果たすも、1939年には独ソ不可侵条約によってナチス・ドイツとソ連が分割併合し、第二次大戦勃発(ぼっぱつ)の舞台になった。戦後は東側陣営に組み込まれ、鬱屈(うっくつ)した共産主義時代を過ごしてきた。おととしにはポーランド負の歴史の一つ「カチンの森事件」追悼式典に参加のため、カチンスキ大統領ら政府要人を乗せた専用機が墜落。乗員乗客96名が全員死亡した事故も記憶に新しい。

 そんな苦難の歴史を歩んできただけに、ポーランド人は頑固で実直な民族だ。偏屈さを捨て切れない人々もあるが、ポーランド出身の友人たちや再三の訪問を通して、わたしは彼らと彼らの国にポジティブな印象を抱いてきた。性格的にはアバウトな南スラブ人(旧ユーゴ諸国とブルガリア)と冷酷な東スラブ人(ロシア、ウクライナ、ベラルーシ)の中間に位置し、人情味とホスピタリティーを持ち合わせている。大会直前に英BBCは、ポーランドとウクライナ両国リーグにおける民族差別問題をテーマにドキュメンタリーを制作。番組内でソル・キャンベルに「テレビで観戦すべき。棺に入って帰ってくる可能性がある」と発言させたが、これは英国流偽善に基づく構成で、そもそも国際大会のユーロとは焦点がずれている。今の上向きなポーランドならば、立派なホスト国として大会を成功させるものと信じている。

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著者プロフィール

1973年名古屋生まれ。サッカージャーナリスト、通訳。同志社大学卒業後、都市銀行に就職するも、97年にクロアチアで現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて退職。以後はクロアチア訪問を繰り返し、2001年に首都ザグレブに移住。10年間にわたってクロアチアや周辺国のサッカーを追った。11年から生活拠点をリトアニアに。訳書に『日本人よ!』(著者:イビチャ・オシム、新潮社)、著作に『旅の指さし会話帳 クロアチア』(情報センター出版局)。スポーツナビ+ブログで「クロアチア・サッカーニュース」も運営

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