“上向き”なポーランドが迎えた初戦のドラマ=ポーランド 1−1 ギリシャ

長束恭行

ユーロではいまだ勝利なし

開始直後からギリシャ守備陣に襲いかかったポーランドが、エースのレバンドフスキのゴールで先制した 【長束恭行】

「わたしたちの勇敢な若者たちは白と赤。彼らはやってくれるわ。スムダ(ポーランド代表監督)はハッピーになるわ。ヘイ!」

 試合開始40分前、「KOKO EURO SPOKO」がスピーカーから流れると、懐古趣味に反発する一部からブーイングが起きたものの、天井の映像装置に表示された歌詞を見ての大合唱が始まった。スタディオン・ナロドヴィ(国立スタジアム)はポーランドサポーターで超満員。ユニホームの色にちなみ、「ビエロ・チェルヴァニ」(“白と赤”の意)と呼ばれるポーランド代表は、70年代から80年代にかけて黄金時代を迎えた。当時の主力で、同国史上最高の選手であるズビグニェフ・ボニエクは、昨年に国民に向けてこうアピールした。

「ユーロ2012はポーランドの、スポーツの歴史上だけでなく、すべての歴史上で最も重要なイベントのひとつだ。国民にとってみれば、参加することで画期的な歴史の一部分になれる絶好の機会なんだよ。だってポーランド人はサッカーを愛しているじゃないか」

 ポーランドはワールドカップ3位を2度経験しているが(1974年、82年)、前回大会が初出場となったユーロではいまだ勝利がない。09年10月、念願のポーランド代表監督に就任したフランチシェク・スムダは、世代交代や移民二世の帰還を推し進めつつ、ショートパスを活用するポゼッションサッカーに移行。最初の1年間は苦労したものの、ここ15試合で敗れた相手はイタリアとフランスだけ。昨年9月の親善試合では優勝候補のドイツ相手に勝利まであと一歩だった(ロスタイムの失点で2−2)。FWのレバンドフスキ(ドルトムント)はブンデスリーガMVPに選ばれるなど、経済と同じく上向きな、おらが代表のユーロ初勝利を国民が後押しする。

「国内のムードは素晴らしいね。チームには大きな助けになっているよ。以前は常にこうはいかなかった。だが、わたしが構築しているチームは優れたサッカーをしようと努力していることを今の国民は理解してくれている」

 開幕前にスムダ監督はそう国民に感謝しつつ、参加国ではドイツに次いで平均年齢が若いチームとなった事実を喜んだ。「しかし、若さはわなにもなる」と警戒もする。なぜならば、初戦の相手はしたたかなサッカーを展開するギリシャだからだ。

絶対的優位に立ったポーランドだったが……

後半のレバンドフスキ(白)は完全に封じ込まれてしまった 【長束恭行】

「ワシたちは楽しそうに芝生の上を駆ける。ゴールを決めて。きっと決まるわ」(「KOKO EURO SPOKO」より)

 ポーランド代表にはもう一つのニックネームがある。国章にちなむ「ビエレ・オルウィ」(“白い鷲”の意)。開始直後からポーランドはワシが獲物を狙うかのように、ギリシャ守備陣に襲い掛かった。その運動量で相手とのギャップを作りつつ、パスをつなぎながらサイドに展開。先制点は17分、MFブラシュチコフスキの右クロスをエースのレバンドフスキがヘディングでたたきつけた。前半は何もかもがポーランド側にうまく転がった。センターバック(CB)のA・パパドプーロスが37分に負傷退場すると、44分にはMFムラフスキに対するタックルでCBのパパスタトプーロスが2枚目のイエローカードをもらって退場。ポーランドは絶対的優位に立った。

 しかし、劣勢になると強いギリシャが後半から本領を発揮。51分、途中交代のFWサルピンギディスがGKシュチェスニーの判断ミスを突いて同点弾を押し込むと、69分にはシュチェスニーがゴール前に飛び込んだサルピンギディスを倒してしまう。アーセナルの正GKは大舞台で若さを露呈し、相手にPKを与えるだけでなく、レッドカードで退場する羽目に。だが、ドラマはこれで終わらなかった。交代で入ったGKティトンが、MFカラグニスのシュートコースを読んでPKをストップする。結果は1−1のドロー。前半で勝利を確信していたはずのポーランドサポーターは「むしろ負けなくて良かった」と、選手たちの健闘を拍手で祝福した。

 グループ突破を狙うポーランドはいきなり出はなをくじかれたものの、グループAは混戦が予想される。第2戦はワルシャワに強敵ロシアを迎えるが、次こそユーロ初勝利を目指そうじゃないか。なぜならば、サッカーと代表が大好きな国民が支えてくれている。公式ソングもこうポジティブに締めくくっているのだから。

「兄弟よ、わたしたちが無理だなんて思わないで。姉妹よ、心配しないで。わたしたちはユーロに勝利するわ!」

<了>

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著者プロフィール

1973年名古屋生まれ。サッカージャーナリスト、通訳。同志社大学卒業後、都市銀行に就職するも、97年にクロアチアで現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて退職。以後はクロアチア訪問を繰り返し、2001年に首都ザグレブに移住。10年間にわたってクロアチアや周辺国のサッカーを追った。11年から生活拠点をリトアニアに。訳書に『日本人よ!』(著者:イビチャ・オシム、新潮社)、著作に『旅の指さし会話帳 クロアチア』(情報センター出版局)。スポーツナビ+ブログで「クロアチア・サッカーニュース」も運営

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