東北人魂を胸に、復興活動を続ける小笠原満男=被災地のサッカー少年にグラウンドを

元川悦子

始動予定の「グラウンド再生プロジェクト」

福島第一原発事故の収束拠点と化しているJヴィレッジ。子供たちがサッカーをするためには、少しでも早くグラウンドを再生しなければならない 【元川悦子】

 彼が強調するように、震災によって多くのスポーツ環境が失われたのは確かだ。その象徴がJヴィレッジだろう。かつてトルシエジャパンが毎月のように強化合宿を実施し、2006年ドイツワールドカップ直前にジーコジャパンが国内最終合宿を張ったあの場所は、今や福島第一原発事故の収束拠点と化している。天然芝・人工芝ピッチはヘリポートと駐車場、一部はコンクリートが張られて放射線物質の除染場として使われ、スタジアムの方は作業員用のプレハブ住居になってしまった。実は筆者も今年1月に現地へ赴いたが、ピッチ上に無造作に建てられた住居、地震で破壊されたスタンド、伸びきった芝生……と、あまりにも過去の姿とかけ離れた光景に衝撃とむなしさを感じざるを得なかった。「どうして真っ先にサッカー施設をつぶしてしまうんだろうね……」と小笠原も悔しそうにつぶやていた。

 そんな現状を踏まえ、昨年末のFIFA(国際サッカー連盟)クラブワールドカップで来日したFIFAのジョゼフ・ブラッター会長が「東北被災地各県に1億2千万円ずつ出してグラウンドを作りたい」と申し出てくれた。だが、土地を20年間無償で貸してくれる自治体が現れないことには始まらない。しかも人工芝は7〜10年で補修する必要があり、一面全部張り替えるには5000〜7000万円もかかる。それを各県協会が負担しなければならず、せっかくの話も実現できるかどうか分からないという。

「被災地でそれだけのお金を作り出すのは簡単じゃない。だからこそ、僕らが何とかしたいという気持ちが強いんです。東北人魂で『グラウンド再生プロジェクト』を作って、そこから張替え費用を出せるようになれば、FIFAの申し出ともリンクできるから。一方、僕らは僕らで別のグラウンドも用意したい。『仮設スーパー』があるなら、『仮設グラウンド』があったっていい。砂をまいて、ちょっとしたゴールを置いてネットをつけるだけでサッカーはできるんだから。まずは場所探しからだと思います。この前も岩手でいろんな人と話したけど、私有地なら使えるんじゃないかって話が出ました。『田んぼや畑があった広大な土地をこの機に買ってくれるなら、子供の施設に使ってほしい』と言ってくれる人がいると。そういう人と場所が見つかれば、あとはお金の問題になる。そのためにも、東北人魂できちんとした受け皿を作ることが大事。これは今すぐやらないといけない。事務局のスタッフとも相談して、できるだけ早くプロジェクトを立ち上げるつもりです」と小笠原は語気を強める。

子供たちの笑顔を取り戻すために

 東北人魂に「グラウンド再生プロジェクト」ができれば、企業や個人が1口いくらで出資できる体制が生まれる。賛同者が増えて、何百、何千万という資金になれば、グラウンド整備も思い切って進められるようになるだろう。彼のアイデアは実現不可能な話ではないはずだ。

「東北の漁業関係では、1万円の出資を募って養殖施設や船を修理するお金に充て、獲れた魚介類を還元するっていう支援方法があると聞いてます。そういうのはすごくハッキリしてていいですよね。日本赤十字への募金ももちろんいいことだし、それで助かる人もいるわけだけど、目に見える形でお金を出せる仕組みがあった方がより明確だから。『グラウンドを作って、子供たちの笑顔を取り戻したい』という僕の考えに賛同してくれる人が増えるように、しっかりとプロジェクトを立ち上げ、うまく回るようにするのが、今の僕の仕事なのかなと思ってます」

 小笠原は本業であるサッカーを忘れたわけではない。プロ15年目となる今季に賭ける思いは強いし、チーム一丸となってタイトル奪還に向かうつもりだ。それと同時に、震災復興活動も並行してやっていこうとしている。「練習や試合のない時を無駄に過ごしてるより、そういう活動をしてる方がおれの力になるからね」と言うように、本人もうまくメリハリをつけることができているようだ。

 彼が痛感しているように、震災からの復興はまだまだ道半ば。ごく普通に暮らす人間はそのことを忘れがちだが、被災地には苦しんでいる人たちが大勢いる。震災発生から1年が経過した今こそ、彼らのために何ができるのかをあらためて考えるべきだ。小笠原のように具体的な活動はできなくても、その心意気に賛同し、協力することはできるはず。東北人魂の「グラウンド整備プロジェクト」がいち早く始動し、サッカー少年たちが元気にグラウンドを駆け回る日が来るように、われわれサッカーを取り巻く側もサポートの意識を持ちたいものだ。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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