バルサのサッカーが示す能動的な人生哲学=小澤一郎のバルセロナ密着記
内容と結果は戦前の予想通り
バルセロナのサッカーはエンターテイメント性を備え、「見ている者を楽しませる」という特徴がある 【Getty Images】
ペップチームの特徴の1つが、「どんな相手であれバルサらしいサッカーで勝利するとともに、見ている者を楽しませる」ことだと思う。要するに、「ハズレ」の試合がほとんどなく、スタジアム観戦した者を「つまらなかった」という気持ちで帰宅させないエンターテイメント性を備えている。「サッカーとはスペクタクルである」というカタルーニャ人の気質をクラブの哲学やチームのサッカーに落とし込み、今はそれを自前で育てた選手たちで実現している絶頂期だ。
試合の流れや得点経過については今更ここで詳しく述べる必要もないだろう。72%というボール支配率、シュート数19本という数字からもバルサの圧倒ぶりは分かるし、何より4−0という試合結果がアルサッドとの実力差を如実に物語っている。内容と結果はある意味戦前の予想通りで、敵将(アルサッドのフォサッティ監督)ですら「バルセロナと対戦したらこのぐらいの結果は仕方ないのかもしれない」というコメントを残している。
バルサのすごさは「つかみどころのなさ」
結局、アルサッド戦のバルセロナのシステムや各選手のポジショニングは明確には定義できないし、常に流動的に試合状況やスコアによって微調整されている。よって、バルサのすごさというのはある意味「つかみどころのなさ」であり、それは戦術やシステムがどうこうという話ではないので理解するためにはスタジアム観戦をして生き物としてのチームとサッカーを感じてもらうことが一番いい。
例えばこの試合をスタジアムで観戦していた人は、バルサがボールを失った瞬間はチーム全体がボールにすっと集まる“縮”の動き、ボールを奪った瞬間はボールからすっと離れる“伸”の動きがあることを無意識ではあっても感じたはずだ。今のバルサはボールを中心とした伸縮性を持つチームであり、スタジアムから俯瞰(ふかん)的にとらえた時にチームとしての統一感とそこから派生する“機能美”がある。漠然とした表現で恐縮なのだが、書き手としてこの部分を表現することが一番難しく、これに挑むこともわれわれジャーナリストの責務だとは思うが、逆に今回のバルサが来日してくれたことで「見てください」、「感じてください」というアプローチもできるのではないかと考えた。