自称“海賊レスラー”宝城カイリ、自己紹介で出航!=スターダム
超ハードな部活に悲鳴、でも「悔しい、諦めたくない」
とにかくハードだった高校ヨット部時代、でも諦めたくなかった 【写真:(c)スターダム】
ヨット=部活ではなく、完全に“趣味”として考えていました。
学校帰りに気分転換にヨットに乗れたらいいなぁ〜。
そんな軽いノリだった。
そもそもヨットに全国大会とかインターハイがあるなんて知らなかったですし……(笑)
しかし、そこから光高校ヨット部はまさかの“体育会モード全開”の部活へ、変貌を遂げていったんです。
その理由は、コーチの熱血指導っぷり。
元光高校のヨット部出身、現・光高校教師だったコーチは、インターハイや全国大会で結果を残してきた、ヨット界でもトップレベルの人でした。
入部して最初のころは天使のように優しかったのに、ある日突然、急に怒鳴り始めてみんなビックリ。
「お前なんか辞めてしまえ!」
「お前が乗ったらヨットが可哀想だ! ヨットに謝れ!」
「帰れ!」
そんな言葉を浴びせられて、辞めていく子が続出。
気が付けば、私を誘ってくれたあの男の子君まで辞めていました。
練習も日に日にハードになり、どんなに寒くても、雪やあられや雨が降っても朝6時に起きて海に出る。
夜中の12時過ぎまで制服でヨットの修理をしたり、猛暑の中で倒れるまで砂浜ダッシュをしたり、月に何度も全国各地へ遠征しては、ひたすら練習をしたり。
……私自身も辞めたいと思うことは何百回もありました。
練習やコーチが厳しいからというのはもちろんですが、何より私はヨットが下手くそだったから。
大会に出ればドベは当たり前。
小学生の男の子にさえ負ける始末。
強風の日はヨットを操縦している時間よりも、ひっくり返って海で溺れている時間の方が長かったと自信を持って言えます。
コーチからも
「お前は本当にセンスないな」
と言われ続けてきました。
そんないつになっても上達しない自分に失望して、退部届を出す覚悟まで決めた。
……だけど、心の中で
今逃げだしたら、一生後悔することになるよ
って叫んでいる自分がいて。
これまでの自分だったら簡単に諦めていたはずなのに。
不思議なことに、負け続けているうちにどんどんどんどん
悔しい、諦めたくない
っていう気持ちの方が大きくなっていったんです。
こんな風に、誰に何と言われても自分の意志を貫き通せるほどの気持ちは初めてでした。
あれほどに面倒くさがり屋だった私が、毎日練習ノートをつけるようになったり、大人の選手に意見を聞きにいったり、進んでジムに通ったりするようになり
プラス、部活だけやってる人とは言われたくなくて勉強にもまじめに取り組むようになって、気がつけば順位が200人中、100番台だったのが10番代になり、世界史では学年トップの座を獲得していました。
人は努力すれば変われるんだ、いつか目標を達成することができるんだ!
3.20後楽園大会では新必殺技「イカリ(変形逆エビ固め)」で1期生の岩谷麻優から勝利! 【写真:(c)スターダム】
インターハイという大舞台で個人準優勝という、自分でもびっくりの結果を残すことができたのです。
1、2年生のときは県大会の予選すら敗退していたのに……。
この経験を通して、私の人生は180度変わりました。
そのときから、
【人は努力すれば変われるんだ。どんなに才能が無くても、自分を信じて進み続ければ、いつか目標を達成することができるんだ!】
と思えるようになったんです。
そして将来は、これを少しでも多くの人に伝えられる仕事ができたらいいなと思うようになりました。
学業とヨットで結果を出したことが認められて、憧れだった東京六大学の法政大学(文学部)に推薦入学することができました。
大学でもヨットの結果を残したい!と、高校を卒業した次の日には東京に旅立ち、春休み返上で大学の先輩方に混じってヨットの練習を開始しました。
そうして大学一年生・19歳の夏。
日本での選考レースで女子トップになって、念願だったヨット世界大会にU−22日本代表として出場できることが決まりました。
開催国は、ブルガリア。
連日の強風でなかなか結果は出せなかったものの、最高の経験になりました。
……はい。しかし、ずっと上手くはいかないのが人生ですね(笑)
その後、日に日にヨットが走らなくなっていきました。
目標を失ってしまったというか……
なんだか高校のときのようにヨットを心から楽しめていない自分がいる。
少し余談ですが、ヨット競技は操縦の技術プラス相手との駆け引きや計算が大事になってくるスポーツなんですけど、
(なるべく相手に戦略をよまれないように、サングラスや帽子で表情を隠したりします)
闘う相手のレベルが上がれば上がるほど、そういう駆け引きとか冷静さが勝ち負けを大きく左右するようになります。
そんな中で、これ以上“感情バカ”の私が上を目指そうとすると、大好きなヨットを嫌いになってしまうな、と思い始めたんです。
それと同時に、もっとたくさんのことに挑戦したり、視野を広げていきたいとも考えるようになり、大学でヨット競技生活は終わりにしようと、大学三年のときに決断しました。
ヨットを引退し新たに見つけた役者の道、そこで運命の……
ヨットを引退後、役者への道を志したがそこから運命は大きく変わることに…… 【スポーツナビ】
役者は思う存分、自由に自分を表現できる。
それがすごく新鮮で、楽しくて、やっていて幸せを感じました。
ただ、現実的に考えるとこれで食べていける人間はほんの一握り。
……仕事にはできないから、せめて大学を卒業するまで趣味として続けよう。
そう思い、ヨットを引退して取り組んだ就職活動。
なんとか無事に希望した企業から内定をもらうことができたんですけど
やっぱり心のどこかにモヤモヤはありました。
そして、春から冬までひたすら悩み続けて出した答えは、
一度きりの人生、どうせなら今しかできないことをやろう!
イコール、
内定を辞退して、表現者の道に進むこと!
でした。
こうして大学を卒業後、アルバイトをしながら役者としての下積み生活を始めた訳であります。
そして2011年7月……
運命の日は訪れます。
「君、舞台でプロレスラーの役を演じてみないか?」
この一言で、私の人生はまた、大きく大きく変わる訳です。
……はっ!!(◎_◎;)
……かなり中途半端ではあるんですけど、なんだか長々と書き過ぎてしまったような気が(>_<)笑
今回はこの辺りにしておかないとですね!
良かったら、この先の展開を予想してみていただけると嬉しいです(^-^)/
次回はこの続きからプロレストークを存分に語らせていただきたいと思います!
ここまで読んで下さって本当にありがとうございました☆
それでは、次のコラムは
蒼き炎の美少女少林ガールこと、
翔月なつみ選手ですよー!
チェケラー致しましょう!
お楽しみにっo(^▽^)o
宝城カイリでした☆
4月7日(土)香川・高松シンボルタワー展示場(18:00)
<シングルマッチ 15分1本勝負>
世IV虎
はるか悠梨
<大日本プロレス提供試合 20分1本勝負>
石川晋也
アミーゴ鈴木
<シングルマッチ 20分1本勝負>
脇澤美穂
鹿島沙希
<ユニット対抗戦 20分1本勝負>
高橋奈苗、須佐えり
夏樹☆たいよう、安川惡斗
<ユニット対抗戦 30分1本勝負>
愛川ゆず季、美闘陽子、宝城カイリ
紫雷イオ、岩谷麻優、翔月なつみ
■ゆずポン祭6〜ゆずポン故郷凱旋〜
4月8日(日)愛媛・銅夢にいはま(17:00)
<〜オープニングACT〜>
<シングルマッチ 15分1本勝負>
翔月なつみ
安川惡斗
<大日本プロレス提供試合 20分1本勝負>
石川晋也
アミーゴ鈴木
<ユニット対抗戦 20分1本勝負>
美闘陽子、鹿島沙希
脇澤美穂、須佐えり
<ユニット対抗戦 20分1本勝負>
紫雷イオ、岩谷麻優
夏樹☆たいよう、世IV虎
<ゆずポン凱旋試合 30分1本勝負>
愛川ゆず季、宝城カイリ
高橋奈苗、はるか悠梨