ヤクルトの快進撃を支える宮本慎也のリーダー哲学
国際大会の経験も豊富なヤクルト・宮本がリーダー哲学を語った 【写真:江藤大作】
メダルなしの“惨敗” いま振り返る北京五輪
実際にへこみましたし、後悔ばっかりで……。何かできたんじゃないかなっていう後悔が、今でもまだある。
――3年が経っても残っている後悔とは?
「みんなに悪いことしたな」という気持ちが強い。ボクに配慮があったり、ボクが星野(仙一)さんに話とかできたりしたら、もうちょっと変わったんじゃないかな、と思っています。
――世代の差があって、お互いの考え方やスタイルを理解できなかったとも報道されました。
アテネ五輪は選手の年齢層が30歳前後でグッと固まっていたんですよ。北京五輪のときは若い選手もいるしボクより年上もいた。でも……ボクの配慮が足りなかったというのは、本当に思っています。若い選手らにちょっとイヤな思いをさせたかな、と。
――準決勝に敗れて金メダルの夢が消えたとき、アテネ五輪の宮本さんは選手全員を集めて「最後まで全力でやってメダルを取って帰ろう」と鼓舞。銅メダルにつながりました。北京五輪で準決勝に敗れたときは?
すごい迷って……結局、集めなかったんですよ。ボクの中で「たぶん、集めてもダメだ」っていうのがあって。だったら、一人一人に言おうと思って、アメリカとの3位決定戦の前、一人一人に寄って行って「メダルなしでは帰れへんから、メダルを取って帰ろうな」って回ったんですけど。
――ベテランが全員ミーティングの招集を躊躇(ちゅうちょ)するほど、チームはバラバラだった。一流選手が集う短期決戦。主将の責任を超えているのでは?
でもね、そこでね、集められなかったんですよね。それはやっぱり……今でも後悔しています。たとえ負けたとしても、あのとき、やっぱり集めるべきだったという。
五輪敗戦後のダルビッシュ、涌井とのやり取り
帰国する前、ダルビッシュ(有/日本ハム)、涌井(秀章/西武)の部屋に行きました。あいつらはこの大会で恥をかいてイヤな思いをしただろうから。でも次の年は(第2回)WBCもあるから「おまえら、代表に呼ばれたらちゃんと行けよ」と話しました。
――どんな考えから「次も代表へ行け」と伝えたのですか?
日本を代表するピッチャーが「日本代表に行きたくない」となるのは、日本球界にとって良くないと思ったので。
――2人の投手は何と答えたのですか?
彼らがどう思うか分からなかったから、けっこう勇気がいったんですけど…。「それだけは、やっとかなアカンな」って思って部屋へ行ったら、2人が「宮本さん(が語ってきた日本代表の誇りや責任など)の言葉、自分らすごい覚えていますよ」と言ってくれた。