チームの象徴、メッシの活躍に沸いたコルドバの夜=中田徹のコパ・アメリカ通信

中田徹

スリリングな試合の舞台となったコルドバ

第3戦のコスタリカ戦、キックオフ前から歌い、気合十分だったアルゼンチンサポーター 【写真:AP/アフロ】

 グループCの4試合を追いかけた後、コルドバへやって来た。メンドーサからコルドバまで約600キロ。バスだと11時間半かかるが、飛行機もちょうどいい時間のものがない。そのためようやくコルドバのバスターミナルに着いたころにはブラジル対パラグアイが終盤に差し掛かっており、食堂のテレビをチラリと見てみたら2−1でパラグアイが勝っていた。
 結局フレッジのゴールでブラジルは何とか2−2で引き分けた。南米のビッグ2、アルゼンチンもブラジルも、グループリーグ2試合を終えて共に2引き分けとなったのである。両チームがグループリーグ最終戦2試合を戦うコルドバは、実にスリリングな試合の舞台となったのだ。

 コルドバはサン・マルティン広場を中心に、昔ながらのきれいな建物が有名で、世界遺産にも指定されている。しかし、その狭いエリアから東へ外れた場所は、安い店や露店が並ぶ。とりわけ市場まで続く道は人でごった返しており、庶民の生活のにおいがぷんぷんとしている。西へ行けば真新しいショッピングモールを中心に、ファッショナブルな店がいくつもあり、南へ下るバスターミナルへの道は安宿と安いレストランがいっぱいある。

 こんなコルドバの町を散策していると、メンドーサが実に危険な町であったかに気がついた。メンドーサの町の歩道は、大きな穴だらけだったのだ。例えば、街路樹の根元もぽっこり大きな穴が開いたままで、僕もホテルを探すためにビルを見上げながら歩いていたら、いきなり1メートル近くある穴に落っこちてしまった。
 歩道と車道の間にある大きなどぶは、ふたが閉まっておらず、横断歩道を渡り切った時には足元をよく注意しないと、落ちてけがをしてしまう。アルゼンチンの町の作りはどこもこんなものなのかな――と思っていたのだが、コルドバの町に来てみて、それが大きな間違いだったことに気がついた。

アルゼンチンサポーターは気合十分

 11日はアルゼンチン対コスタリカの試合があった。ありがたかったのはサンマルティン広場から一目でスタジアム行きと分かるバスが頻繁に出ていたことだった。
 メンドーサのバスは路線が実に複雑なため、観光客にとって乗りこなすには至難の業だった上、街とスタジアムをつなぐピストン輸送のバスがなかった。そのため、多くの観戦客が歩いて巨大公園の中にあるスタジアムまで向かっていた。この公園までは街の中心部から30分近く。さらに公園の入り口からスタジアムまでが20分強。公園に入ってから、いくら歩いてもスタジアムが見えてこないのがつらかった。

 それを思えばコルドバは楽チンだ。50円ほどのお金を払えば、バスが僕たちをスタジアムまで運んでくれる。マリオ・ケンペス・スタジアムに近づくと、サポーターたちがバスの天井をどこどこたたきながら「バーモー、バーモー、アルヘンティーナー! バーモー、バーモー、アーガナール! ケースタ・バンダー・キロンベーラー、ノテデハ、ノテデハ、デアテンタール!」と歌う。見れば運転手は左手でハンドルを操りながら、右手で指揮を振っていた。コスタリカ戦を目前にして、アルゼンチンサポーターは気合十分であった。

 今回のコパ・アメリカ(南米選手権)で不振を極めていたアルゼンチン代表は、メッシが大きな議論の的になっていた。バルセロナでは得点を決めまくり、チームを勝利に導き続けているのだが、どうしても代表チームでは輝けないのだ。コパ・アメリカでバティスタ監督はメッシをトップに置く、バルセロナシステムを採用したものの、不発の状態が続いていた。そこで、バティスタ監督はイグアインをトップに、メッシをトップ下に置くシステムにして気分一新、コスタリカ戦に臨むことにした。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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