ジーターの出現は「ベースボールの喜び」=史上28人目の3000本安打達成

杉浦大介

全米から尊敬と好感を集めるまれな存在

本塁打を打ち生還後、ロドリゲス(手前)と抱き合い笑顔を見せるジーター 【Getty Images】

 もちろんその一方で、ここ数年のジーターが衰えを隠せなくなっているのも事実ではある。今季前半戦は打率2割7分、3本塁打と全盛期の彼からすれば考えられない低調な数字が並んでいる。
 打順降格、あるいは遊撃手のレギュラーを成長株のエデュアルド・ヌネスに譲るべきという声が出て来るなど、37歳のベテラン・ショートにとって状況は決して優しくない。後半戦開始直後に再び不調に陥れば、魔法はすぐ解けて、再び限界説が話題になるのかもしれない。

 だだ……それでも余りに見事だった3000本安打達成直後の今だけは、まずジーターのこれまでのキャリアに感謝し、祝福すべきなのだろう。
 ジーターがメジャーデビューした翌年の1996年から、ヤンキースの新たな黄金期は始まった。以降の15年で14度もプレーオフに進出し、優勝リングも5つ獲得。その過程でジーターは多くの劇的なシーンを演出し、“希代のクラッチプレーヤー”の名声も勝ち得た。
 同時に常に正しくプレーする姿勢で、多くの人々の尊敬も集めて来た。アンチファンも多いヤンキースの中でもジーターだけは、全米から好感を抱かれる極めてまれな存在であり続けて来たと言って良い。

時を越えて語り継がれる記憶と記録

「ベーブ・ルース、ヨギ・ベラ、(ジョー・)ディマジオ、ミッキー・マントル……と続くヤンキースの系譜の中で、誰も3000安打を達成できなかった。そして今ここで、デレク・ジーターがやってのけてくれた。ヤンキースにとってこの上なく幸福なことだよ」
 マリアーノ・リベラのそんな言葉も胸に響く。ヤンキースにとってだけでなく、すべてのファンにとっておそらくそれは同じこと。デレク・ジーターの出現は、ベースボールにとっての喜びだった。

 ときにスポーツは、最高の舞台と出来過ぎのエンディングをプレゼントしてくれることがある。そして2011年7月9日、ヤンキー・スタジアムで起こったことも間違いなくその中に含まれるのだろう。
 この日のジーターの鮮やかな記憶と記録は語り継がれ、書き留められ、いつしか時を越えて行くに違いない。

<了>

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著者プロフィール

東京都生まれ。日本で大学卒業と同時に渡米し、ニューヨークでフリーライターに。現在はボクシング、MLB、NBA、NFLなどを題材に執筆活動中。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボール・マガジン』『ボクシングマガジン』『日本経済新聞・電子版』など、雑誌やホームページに寄稿している。2014年10月20日に「日本人投手黄金時代 メジャーリーグにおける真の評価」(KKベストセラーズ)を上梓。Twitterは(http://twitter.com/daisukesugiura)

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