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前田遼一が歩み続ける“職人”の道
恩師が語る寡黙なストライカーの原点

“ゴール作り”の名工

ザックジャパンの最前線に立つ前田だが、派手さとは無縁。寡黙にゴールを狙う、職人のようなストライカーだ
ザックジャパンの最前線に立つ前田だが、派手さとは無縁。寡黙にゴールを狙う、職人のようなストライカーだ【Getty Images】

 2010年11月3日、ナビスコカップでジュビロ磐田に7年ぶりのタイトルをもたらしたエースは、珍しく弾んだ声で電話口の恩師に勝利を報告した。

「おめえの笑った顔、久々に見たぜ」

「はい。うれしかったんです」


 アルベルト・ザッケローニ率いる日本代表の最前線に立ち、09シーズンから2年連続でJリーグ得点王に輝いた前田遼一は、紛れもなく日本サッカー界のトップスターである。ただし、そのキャラクターにいわゆる“スター性”はない。時代は個人マーケティングの最盛期。たとえピッチを職場とするサッカー選手であっても、あらゆる角度から自身の価値を高める工夫を凝らす必要がある。しかし、前田の立ち居振る舞いからは、自身をうまくマネジメントして、ピッチ外での商品価値を高めようとする意思が感じられない。例えば、本田圭佑の真っ赤なフェラーリと金色のサングラス、例えば三浦知良の華麗なダンスは、やはり彼には似合わない。


 めったに笑顔を見せないストライカーの気質は、まさに職人である。性格はシャイで控えめ。人前で話すのが苦手。ピッチでは寡黙に、淡々とゴールを狙い続け、千載一遇のチャンスを全力で仕留める。1つのゴールは次のゴールへの始まりにすぎず、彼はゴールの歓喜に酔いしれることなく、また黙々と次の仕事の準備を始める。“年季の入った”という形容がしっくりとはまる“ゴール作り”の名工、前田遼一――。彼が歩み続ける職人の道、その原点を探るべく母校の恩師を訪ねた。

「あんな選手、もう二度と出てこねえ」

 手元を巣立ってすでに11年が経過しているが、恩師である林義規にとって、前田は35年間の指導生活においても特別な教え子の1人だ。暁星高は高校サッカー界においては全国区の知名度を誇る名門だが、実は年間10名前後の東大生を輩出する都内屈指の進学校でもある。遠征先の宿舎でサッカー部員が机に向かう姿は、高校サッカー界においては言わずと知れた風物詩の1つ。しかしそれは、林が義務付けたスタイルではない。


「アイツらは先輩たちの姿を見ているからね。オレは『勉強道具持ってこい』と言ったことは一度もねえし、特別に勉強時間を設けているわけでもねえ。でも、アイツらは先輩たちの姿を見て、そういうもんだと思ってるんだ。時間がねえから、やるときは集中してやる。それが伝統。やっぱり、このスタイルは崩したくないね。ウチはサッカーと勉強が一緒。サッカーだけ、勉強だけなんてヤツはいないよ。同じ人間が全国大会への出場と一流大学の合格を目指すんだから、やるしかないんだ」


 生粋の江戸っ子である林が、いわゆる“べらんめえ調”の江戸言葉で言う。「そんな環境から生まれた日本代表選手ってのは、やっぱりまれなんじゃねえのかな。遼一はやっぱり、異質だよ。あんな選手、もう二度と出てこねえ」

13クラブのオファーとライバルの存在

 初めて出会った中学1年生の前田は、体の線の細い、どこにでもいるサッカー少年の1人にすぎなかった。しかし、練習に対するストイックさは尋常ではなかった。性格は負けず嫌い。一度決めたら覆さない。チーム事情から守備的なポジションを任され、悔し涙をこぼしたこともある。そんな前田に恩師が「ひょっとしたら」という思いを抱き始めたのは、中学卒業を間近に控えたころのことだ。毎朝6時15分からたった1人で始めていた個人練習の成果が、急激な体の成長によって顕著に表れ始めた時期だった。


 冬の全国高校サッカー選手権に出場することができなかった3年間を、林は「弱いチームだったから、かわいそうだなと思ったこともあるよ」と振り返るが、前田にとって、それは決してネガティブな要素ではなかったと推察できる。全国制覇を狙う強豪校に進学して競争に敗れる者もいれば、無名の高校から這い上がってJリーグの舞台にたどり着く選手も少なくない。大切なのは、自ら選んだ環境に自身のスタイルを適応させ、その中で努力を怠らないこと。もちろん、チーム内にライバルがいれば、なおのこと望ましい。


「遼一には13クラブからオファーがあって、毎日のようにスカウトが足を運んでいた。ただ、チームには遼一と実力的な双へきを張るDFがいてね。実は、コイツもサッカーができるヤツで、遼一を見に来たスカウトは『あの選手もできますね』と気付くわけよ。でも、実はコイツと遼一の仲が悪くてさ。お互いにライバル視していたわけ。当時は遼一ばかりが注目されて、きっと悔しかったんだろうよ。コイツは医者の息子で、もちろん医学部に進学することを決めていた。でもある日、『先生、僕もプロになります』って言い出しやがった(笑)。遼一にとって、アイツの存在は大きかったんじゃないかな」

細江克弥

1979年生まれ、神奈川県藤沢市出身。『ワールドサッカーキング』『Jリーグサッカーキング』『ワールドサッカーグラフィック』編集部を経て2009年に独立。サッカーを中心にスポーツ全般にまつわる執筆、アスリートへのインタビュー、編集&企画構成などを手がける。

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