前田遼一が歩み続ける“職人”の道=恩師が語る寡黙なストライカーの原点
容易ではなかった進学の道を捨てる決断
高校時代、前田は進学かプロ入りか悩みながらも、最後は「やるならJ1です」と磐田入団を決めた 【Getty Images】
「遼一はギリギリまで悩んで、最後には『プロになります』とはっきり言った。立派でしたよ。もちろん、最初からそのつもりでこの学校に来たなら分かるよ。でも、ウチはそういう学校じゃない。今でもよく覚えているけど、それから13チームからどこを選ぶかということになって、当時東京ヴェルディの強化部長をやっていた教え子の加藤善之(現松本山雅監督)にこんなことを言われたんだ。『先生がいくら酒に強くたって、13チームと酒飲んでたら体壊しちまうよ』ってさ。オレはそれもそうだなと思って、『遼一、頼むからオレの体のこと考えて5つくらいに絞ってくんねえか?』って冗談半分で言ったんだ(笑)。それと、これは今だから言えることだけど、当時、京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)の監督を務めていたのが加茂(周)さんでね。オレもお世話になった義理があるから、『遼一、頼むから京都だけは1回行ってくれ。あとは任せるから』と言ったこともある(笑)」
あるクラブからは、こんな提案もあった。
「当時J2だったクラブのスカウトが、『先生、こういうのはどうですか?』って聞くんだよ。『大学に進学する。でも、サッカー部には所属しないでウチでサッカーをやる』。この提案には正直、揺れた。ご両親は特にね。でも、遼一は偉かった。『やるならJ1です』と、はっきり言った。そう、アイツは半端じゃねえんだ。妥協はなかった」
不安の中で育った日本代表選手
「遼一に限らず、コイツらは不安の中でサッカーをやっているんだ。大学に受かるか分からない、試合に勝てるか分からない、オレに使ってもらえるか分からない。そういう環境の中で、朝から晩まで、夏休み、冬休みもずっとね。だって、受験のライバルたちは、予備校に行って、涼しいところで勉強してるんだもん。ウチのヤツらには、おそらく言葉では言い表せないほどの不安があると思うよ。そういう中で育った日本代表選手は、やっぱりまれだよ。遼一はジュビロに行ってサッカー観も変わったと思うし、プロじゃ通用しないこともある。苦しいこともあったろうよ。でも、不思議とね、焦りは感じられなかった。オレ自身もそうだけど、確信していたよね。いつか必ずやるだろうって」
前田は今年、30歳になる。日本代表というステータスをものさしとするなら、遅咲きと言えるだろう。とはいえ、職人として磨き上げてきた熟練の技が求められるのはこれから。ブラジルへと続くワールドカップ予選で、日の丸を背負ってその真価を発揮してほしい。
<了>
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