森安洋文、オーストラリアでつかんだ夢の舞台=ACLで鹿島と対戦へ
チームの廃部、海外挑戦への決意
オーストラリアのプロサッカークラブ、シドニーFCに、昨季の天皇杯を制した強豪・鹿島アントラーズとの対戦を心待ちにしている日本人МFがいる。今季よりチームの一員となったクラブ2人目の日本人プレーヤー、25歳の森安洋文だ。シドニーFCは4月13日、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)で鹿島をホームに迎える。
森安は2010年8月、6週間に及ぶ過酷なトライアルの末、シドニーFCへの入団にこぎつけた。クラブの1人目の日本人選手は05年のFIFAクラブワールドカップチャンピオンシップ(当時/現クラブワールドカップ)に参加し、脚光を浴びた三浦知良(現横浜FC)だが、ゲストプレーヤーとしての移籍が大々的に報じられた元日本代表ストライカーとは対象的に、森安にはJリーグでのプレー経験もなかった。まだ歴史の浅いオーストラリアのプロリーグ「Aリーグ」で、自身初のプロ選手生活をスタートさせ、わずか1シーズンで無名の選手からチームの主力へと一気に上り詰めた。
森安は1歳のころに父親の転勤で米国に移り住み、5歳になって、すでにボールを蹴っていた兄を追うようにしてサッカーを始めた。以後、二国間で拠点を移すことは数回あったが、常に地元のチームに所属。サッカーから離れることはひとときもなかった。日本に滞在していた高校時代、子供のころから磨いてきたスキルが評価されて清水エスパルスのユースチームに入団、静岡高校選抜にも名を連ねた。卒業時にJリーグのクラブへの入団はかなわなかったが、さらなる高みを目指すため、新潟にあるJAPANサッカーカレッジに入校。そして修了後の2009年、JFLの三菱水島FCでセミプロ生活を始めた。
しかし、入部から数カ月後、チームの廃部が突然に告げられる(現在、三菱水島は中国サッカーリーグに所属)。「もうサッカーを辞めようと思った」(森安)。スーツをまとい社会人になる自分をイメージしたが、サッカーへの思いは簡単に断ち切れるものではなかった。特に、外国育ちの森安にとっては、海外でプレーしたいと思う気持ちが常に心のどこかにあった。
昨年2月、森安は海外挑戦を決意する。言葉に困らない国ということで英語圏のオーストラリアを選び、Aリーグのクラブ入りを目指すことにした。移籍ではないゼロからのスタートには代理人もおらず、自分で道を切り開いていくしかなかった。森安は「ワーキングホリデービザ」(協定を結んだ二国間において、青年が異文化での休暇を楽しみながらアルバイトで滞在資金を補うことを許可する制度)に着目し、自らビザを申請。思い立ってから1カ月後にはオーストラリアの地にいた。
トライアル中の好機――名門エバートンと対戦
トライアルは予想以上に長く続き、心身的にも厳しい日々を送ることとなった。しかし、これがサッカー選手として最後の賭けであると考えていた森安は、「絶対にいける」と自分に言い聞かせ、自らを奮い立たせた。
トライアル中には願ってもいなかった好機も転がり込んできた。オーストラリア遠征中のイングランド・プレミアリーグのエバートンがシドニーFCと親善試合を行い、森安にもベンチ入りの機会が与えられたのだ。
4万人強が詰め掛けたスタジアムで、オーストラリア代表MFのティム・ケーヒルらスター選手がひしめくエバートンのプレーを、シドニーFCの一員としてベンチから見るだけでも夢見心地だったが、後半17分、森安に出番が回ってきた。しかも、シドニーFCのゲストプレーヤーとして出場していた元トリニダード・トバゴ代表MFドワイト・ヨークの交代要員として、ヨークに肩をたたかれてピッチへと送り出されたのだ。
「前年にJFLでプレーしている時は、翌年にエバートンと試合をしているなんて夢にも思っていなかった。非現実的すぎて、ゲームの世界にいるのかなって感じたりもした」(森安)
チームは0−1で惜敗したが、森安にとっては名門クラブとの戦いに加われただけでもこの上ない幸せだった。「しんどい試合ではあったけど、緊張もしないで意外とリラックスした気持ちでできたので楽しかった」。大舞台を満喫した森安は、エバートン戦の数日後にトライアル合格の朗報を受け、今シーズン開幕直前に人生初のプロ契約を交わすことに成功。自力で取得したワーキングホリデーのビザは、クラブが準備したビジネスビザへと切り替えられた。