“怪物”ロナウド、走り続けた18年間=けがや病気に負けず、輝き放った不屈の精神
ロナウドの会見でブラジルが止まった
涙ながらに現役引退を表明したロナウド。この日の会見は生中継され、海外メディアも多く集まった 【写真:ロイター/アフロ】
昼の12時40分から始まった会見は、ラジオでもテレビでも生中継された。『ラジオ・ジョービン・パン』では「ロナウドの会見を聞くために、ブラジルが止まった!」と伝えていたが、ブラジルに多くの喜びをもたらしてくれたロナウドの最後の瞬間を共有したいと思った人は、全国にたくさんいたはずだ。
彼ほど、多くの注目とともに生きてきたプレーヤーはいないだろう。苦しいときも、楽しいときも、常にメディアの中心だった。そして、最後までその責任を全うした。引退会見の会場は、溢れんばかりの国内メディアはもちろんのこと、海外のメディアも集まり、カリスマと親しみやすさの両方を備えた偉大なるプレーヤーの最後を見守った。
「今日、僕はプロサッカー選手としてのキャリアを終えることにした。素晴らしく、感動的なサッカー人生だった。たくさんの負けとそれ以上の勝利。サッカーで僕はたくさんの友達を作った。敵を作ったなんて覚えていないよ」
最初の結婚で生まれた長男のロナウジ君と、レアル・マドリーの日本遠征時に知り合った日系ブラジル人女性との間に授かった次男のアレックス君を連れての会見は、涙で声をつまらせながら、多くの人に愛された彼らしい言葉で始まった。
「本当は、今年の末で引退をしようと思っていたが、時期を早めた。頭ではできると思っても、体がついていかなくなったんだ。以前なら、相手DFをスピードで抜き去ることができたけれど、痛みでどうにもできなくなった時、もうダメだと思った。2010年は、故障に苦しめられっぱなしの1年だった。そして、2011年も故障から始まった」
「自分の体に敗北を喫した」
ロナウドが自分の引退を真剣に考えたのは、この試合の後だったという。
「3日間、悩みに悩んだ。まるで危篤状態でICU(集中治療室)にいるような気分だった。僕にとっての最初の死と同じだ。心から愛している大好きなことをあきらめなければいけないのは本当につらい。気持ちの上では、僕はまだまだやれると思っているけど、体が言うことをきかないんだ。今まで、さまざまな困難を乗り越えてきたけれど、今度ばかりはあまりの痛みに、もう辞めなければならないと決断した。僕は自分の体に敗北を喫したんだ」
18年間の現役生活で実に8回の手術を経験したロナウドは、選手生命の終わりかと思われるたびに復活してきた不屈の精神の持ち主でもあった。1999−2000シーズンには右ひざ十字靭帯(じんたい)を部分断裂。リハビリを終えて復帰した直後の試合で、再び同個所を完全断裂するという悲劇にも見舞われた。
一時は現役引退もささやかれたが、1年半にも及ぶ長いリハビリ生活を終えて2002年に復帰。すると、同年に行われたワールドカップ(W杯)・日韓大会でブラジル代表を5度目の優勝に導き、自身も8ゴールを挙げ得点王に輝いた。そんな怪物でも、今回ばかりはけがに敗北宣言をするしかなかった。