“怪物”ロナウド、走り続けた18年間=けがや病気に負けず、輝き放った不屈の精神

大野美夏

肥満の原因は病気、初めて明かす驚きの真実

ブラジル代表では数多くのゴールを記録し、W杯優勝も経験。しかし、そのサッカー人生はけがや病気との戦いでもあった 【Bongarts/Getty Images】

 ロナウドは13歳でリオデジャネイロ州の小クラブ、サン・クリストーバンに入団。その後16歳でクルゼイロに移籍し、プロデビューを果たした。リオの名門フラメンゴにあこがれながら、バス代を捻出(ねんしゅつ)できず、入団テストを受けられなかった貧しい少年が、ブラジルのみならず世界を魅了するプレーヤーにまで上り詰めたのだ。
 テレビに流れるCMにロナウドが出ない日はなかった。ビール、携帯電話、清涼飲料水、ナイキ……トップメーカーがこぞって彼を起用した。出っ歯ゆえか舌足らずのようなしゃべり方、愛嬌(あいきょう)溢れる笑顔。ブラジル人はロナウドが大好きだった。
 
 そんなロナウドも、2006年のW杯・ドイツ大会からずっと肥満問題で批判され続けていた。大統領にまで「太っちょ」と揶揄(やゆ)されたその体型については、日ごろの不摂生が指摘されていた。だが、ロナウドは引退会見で驚きの真実を明らかにした。

「4年前、ミランにいたときに、検査で甲状腺の異常が発見された。甲状腺機能低下症(ホルモン異常で甲状腺のホルモン分泌が減り、新陳代謝が減り肥満になる)と診断されたが、治療に使うホルモン薬を飲めば、ドーピングに違反してしまうため、飲むことができなかった。この病気が原因で肥満になった。肥満についていろいろ批判をされてきたが、ずっとこれは秘密にしてきて、今、初めて明らかにすることにした。コリンチャンスの関係者は病気のことを知っていた。僕は、どうしてもサッカーを続けたかったから、薬を飲まずにトレーニングすることを選んだ。僕にとってサッカーがすべてだったんだ。今まで僕を肥満だと批判してきた人たちは、これを聞いて後悔しているだろう」

 ロナウドはけがだけでなく病気とも戦っていた。愛するサッカーを続けるために、文字通りボロボロになるまで戦い続けたのだ。時には心ない誹謗(ひぼう)中傷を浴びることもあっただろう。それでも彼の周りには、いつも笑顔が溢れていた。「批判が僕を強くしてくれたと思っている」とはロナウドの言葉だが、彼の不屈の精神とポジティブさが、ブラジル国民に多くの幸せを与えたのは間違いない。

ピッチを去っても話題の中心であることは変わらない

 ロナウドの引退に際しては、多くの著名人が感謝と称賛の言葉を並べている。W杯を3度制したサッカーの王様ペレは、「オランダ、スペイン、イタリアと三カ国を渡り歩き、再びブラジルに戻りプレーしてくれた。どれほど、ロナウドはサッカー界に貢献してくれたことだろう。われわれブラジル人は、ロナウドに感謝しないといけない」とその功績をたたえた。

 またW杯・日韓大会で“3R”を形成し、ロナウドとともに優勝を果たしたリバウドとロナウジーニョも、共にプレーした喜びを語っている。
「彼とプレーする時は、組織プレーなど考える必要がなかった。僕がどう動くかを、彼は全部分かっていたからね。僕も、彼がどんなパスを受けたいのか分かっていた。僕が共にプレーした選手の中でも最高の1人だ。ロナウドの隣でプレーができたなんて、本当に光栄だ」(リバウド)
「偉大なプレーヤーだ。彼ほどすべてをやり遂げた人はそんなにいない。さまざまな困難を乗り越え、若い選手の見本となった。ずっとあこがれていたロナウドと、何年間か一緒にプレーできた。こんな幸せはほかにない。彼は僕の永遠のヒーローであり、友達だ」(ロナウジーニョ)

 そのほかにも、ジーコやジネディーヌ・ジダンら伝説的な選手や、W杯・日韓大会でブラジル代表を率いたルイス・フェリペ・スコラーリ監督もロナウドの引退を惜しんだ。

 もちろん、選手を辞めたからといってロナウドの人生が終わるわけではない。今後は、2014年のW杯・ブラジル大会に向けて、コリンチャンスのアンバサダー(サンパウロでは、コリンチャンスが新設するスタジアムが会場になる予定)として活動する。スポーツ&エンターテインメントマーケティングビジネスを行う“9ine”という自分の会社もすでに設立。さらには、彼の別名ともいえる“フェノメノ”(怪物)を掲げた「クリアンド・フェノメノス基金」を立ち上げ、貧しい子供たちにチャンスを与えたいという。
 引退会見から2日後には、サンパウロ州W杯招致委員会がロナウドを委員会メンバーとして招へいした。ピッチを去っても、この怪物が話題の中心であることに変わりはない。

 サッカー選手としての最初の死を経て伝説となったロナウド。彼と同じ時代を生き、彼のプレーをじかに見ることができた幸せを、この先もずっとかみしめたいと思う。

<了>

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著者プロフィール

ブラジル・サンパウロ在住。サッカー専門誌やスポーツ総合誌などで執筆、翻訳に携わり、スポーツ新聞の通信員も務める。ブラジルのサッカー情報を日本に届けるべく、精力的に取材活動を行っている。特に最近は選手育成に注目している。忘れられない思い出は、2002年W杯でのブラジル優勝の瞬間と1999年リベルタドーレス杯決勝戦、ゴール横でパルメイラスの優勝の瞬間に立ち会ったこと。著書に「彼らのルーツ、 ブラジル・アルゼンチンのサッカー選手の少年時代」(実業之日本社/藤坂ガルシア千鶴氏との共著)がある。

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