ペアスケーターであることの幸せ=フィギュアスケート・ペア 高橋成美インタビュー

青嶋ひろの

日本帰国 新天地を求めてカナダへ トランとの出会い

10月のNHK杯で3位に入った高橋&トラン組(右) 【Getty Images】

 楽しかった中国でのペア時代。若くしてジュニアのペアでトップの成績を収める彼女を、中国としてもこのままナショナルチームに迎えたい、という話もあったという。しかし中学2年生の2学期には、家族とともに日本に帰国。そこから先、彼女がペアを続けて行くことは困難になった。
 日本のフィギュアスケーターは男子が圧倒的に少ないため、ペアができる体格の選手がほとんどいない。幸い、中学3年生になるころに山田孔明選手と新しくペアを組むことができたが、せっかく生まれたペアの練習環境は厳しかった。ただでさえリンク不足が深刻な日本。まず十分な貸し切り時間が取れない。そして一般滑走時間に大技の練習などができず、貸し切りでもシングルと一緒に練習ができないペアは、1組だけでリンクを貸し切らなければならないため、たとえ時間が取れたとしても大きな費用がかかってしまう。「やはり日本でペアを続けるのは難しい」と、高橋・山田組は1年で解散を余儀なくされてしまった。
 それでもペアをあきらめきれなかった高橋は、カナダに新天地を求めることになる。中国時代、チャイナカップに選手を連れてきていたカナダ人、リチャード・ゴーチエ・コーチと知り合っていたことがきっかけだった。

――最初にカナダに行ったのが、高校1年生になったころ。そこですぐに、今のパートナー、マーヴィン・トラン選手と組むことになったのですか?

 いえ、それがカナダでも最初はうまくいかなかったんです。まずペアの相手を見つけるトライアウトに行ったのですが、1週間経っても相手が見つからず、日本に帰ってきました。それでカナダはあきらめていたらリチャードから電話があって、「あなたにピッタリのアジア系のいい選手がいたから、もう一回来てみないか」って(※トランは父母が東南アジア出身の中国系)。それでマーヴィンと試してみたら、すごく相性が良かったんです。

――その後、母親とともにモントリオールへ。高校1年生でスケートのためにカナダへ行くということに迷いはなかったですか?

 やっぱり少し迷いました。日本の高校にも入ったばかりだったので。でも、勉強はいつでもできるけれどスケートは今しかできないって自分で決断したんです。

――シングルの選手としてもノービスで全国3位までいきましたが、日本でもう一度シングルをするという選択は?

 ペアができなかった時期はシングルしかできないので、練習はしていました。またシングルで試合に出てもいいかなとも思ったんです。でもわたしはひざが少し悪くて、シングルの練習をしていると2時間くらいで痛みが出てしまうんです。シングルって、何度も何度も同じジャンプの降り方を繰り返しますよね。わたしは特に右ひざが悪いので、ジャンプの着氷で同じ個所にすごく負担がかかります。でもペアだったらリフトやツイストでいろいろな降り方をする。だからペアの練習の方が、ひざを傷めずに済むのです。

――そんな事情もあって、やはりペアはやりたかった。日本でもカナダでもなかなか相手が見つからない時期はつらかったのでは?

「いつかはきっとペアができる!」と思っていたので、焦りはなかったです。先輩の川口悠子さんも、ペアを始めたのがそんなに早くなかったですし(17歳でペア転向)、「大丈夫だ」って気持ちはありました。もちろん「早くペアやりたい」とは、いつも思っていました。

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著者プロフィール

静岡県浜松市出身、フリーライター。02年よりフィギュアスケートを取材。昨シーズンは『フィギュアスケート 2011─2012シーズン オフィシャルガイドブック』(朝日新聞出版)、『日本女子フィギュアスケートファンブック2012』(扶桑社)、『日本男子フィギュアスケートファンブックCutting Edge2012』(スキージャーナル)などに執筆。著書に『バンクーバー五輪フィギュアスケート男子日本代表リポート 最強男子。』(朝日新聞出版)、『浅田真央物語』(角川書店)などがある

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