ペアスケーターであることの幸せ=フィギュアスケート・ペア 高橋成美インタビュー
ジュニア3戦、シニア2戦のすべてで表彰台に
高橋&トラン組は今季のジュニアグランプリファイナルで優勝。シニアでも大活躍を見せる 【Getty Images】
男女シングルでは世界的な強さを誇る日本のフィギュアスケートだが、カップル種目はまだなじみが薄く、ペアも現在はただ一組しか存在しない。シングルだけでは語り切れないフィギュアスケートの奥深さを教えてくれる高橋&トラン組。シーズン後半の活躍を期待しつつ、グランプリファイナル(12月10、11日)終了後に聞いた高橋選手のインタビューをお届けしたい。
――まずはジュニアグランプリファイナル優勝、おめでとうございます
はい、わたしはすごくメダルが好きなんです(笑)。でも金メダルはなかなかもらえなくて……。今回は「金がもらえるかも!?」と期待していたんですが、それが現実になってうれしかったです。
――ジュニア3戦、シニア2戦のすべてで表彰台に上がりました。9月〜12月まで国際試合5戦というハードな試合日程もしっかりこなしましたね
グランプリシリーズの最中は、「次の試合が待っている、次の試合が待っている」と思うばかり。でも、ひと段落して結果を振り返ると「良かったな」と思いました。この結果で、疲れていてももっと頑張る気になれます。シーズンはまだ半分終わっただけなので。
――グランプリ5戦を通して、一番の思い出は?
シニア2戦目のロシア杯ですね。実は(1戦目の)NHK杯が終わって、ロシア杯の前には2人ともだいぶ調子が落ちていたんです。たくさんの試合に出る状況に慣れていなかったので疲れていたのかもしれない。ロシア杯までに調子を戻すことはすごく大変だったけれど、コーチのブルーノ先生(ブルーノ・マルコット)といろいろ相談しました。
ブルーノ先生は自分たち以上に高橋&トラン組のことをわかっていてくれるから、試合直前まで先生と協力して、調子を戻して。だからロシア杯が無事に終わった時には、最後にマーヴィンと2人で、先生に「ありがとう」って言いにいきました。
――シニアデビューの年にグランプリで3位と2位。ジュニアだけでなく、シニアまでファイナルに進んでしまいそうな勢いでした(※シニアはポイント7位で惜しくも進出ならず)。手応えはいかがでしたか?
確かに2位と3位は取れたんですが、どちらも1位との差がすごくあったと思うんです。中国のパン&トン組やロシアの川口悠子さんの組は、やっぱりすごい。それに中国のダン・ジャン&ハオ・ジャン、カナダのデュベ&デビソンらも出ていないグランプリシリーズでした。これから後半、彼らが出てくるまでに自分たちもレベルを上げて、彼らと試合をするときは同じくらいのレベルになっているように練習したいです。
中国から始まったペアスケーターとしての道
――シングルをやっていたころから、ペアに興味はあったんですか?
ありました。どの選手にあこがれてというわけではなく、もともと体が小さかったし、高いところが好きだったから(笑)。そんな感じの興味なんです。でも日本でペアを組むということに現実味が全くなかったので、本当にペアができるとは思っていなかったですね。
――日本ではペアを教える先生もほとんどいないですし、練習環境も整っていないですからね
でも、日本で習っていた先生は都築章一郎先生で、井上怜奈選手や川口悠子選手にも教えていた先生なんです。
――ペアとして五輪に出た2人の先輩と育ったリンクが同じ(※千葉県・ダイエー新松戸アイスアリーナ。現在は閉鎖)なんですね
はい、都築先生はジャンプを教えるとき、選手を投げて感覚をつかませる、そんな教え方をしてくれたんです。その時は全然意識していなかったけれど……。でも今考えると、あれはスロージャンプの練習にもなってたんですね。
――シングルでも期待されていたけれど、中国に渡ってからは念願のペアの練習ができるようになりました
中国の北京で、まずは普通のスケートクラブに入ったんですけれど、そのクラブのリンクは、中国ナショナルチームの選手たちが練習する北京首都体育館だったんです。そのクラブで「ペアをやりたい」と言ったら、ハルピン出身の男の子、ガオ・ユウ選手を紹介してもらって、組むことになりました。ガオ・ユウ君はほかの女の子とペアをしていた経験もあって、ちょうどそのころ、新しいパートナーを探していました。やっとペアができるようになって……。もう、毎日毎日が楽しかったです。
――シングルとの大きな違いはありましたか?
全然違いましたね。ペアとシングルの一番大きな違いは、自分勝手に練習ができないことです。練習の内容も、自分の好きなように途中で変えたりできない。「今日は調子が悪いな」と思っても、相手がいるから頑張らないといけない。シングルのように何でも自分で調整することができない、そこが一番違いました。でもそれはつらいことではなく、逆にペアのいいところだと思うんです。練習したくないときでも、相手が頑張っていればやる気になります。また反対の場合もあって、相手の具合が悪そうだったら、自分の体調がいいからって張り切りすぎないように調子を合わせる。そんなことの大切さもペアで学びました。
――ペアを組んですぐに、スケートクラブの選手ではなく、国家代表の選手に?
正確に言えば国家代表チームの下のクラス、ジュニアの選手たちが集められたチームで練習することになりました。だからシェン&ツァオやパン&トンとリンクは同じだったけれど練習時間は違ったんです。でも、いつもみんなの練習を見ていたから刺激になりましたね。スロージャンプの高さ、ツイストの高さ……中国選手の持っている技術が、ペアを始めたばかりの自分にとっての基準になったんです。だから中国杯で外国のペアが北京に来たときには、「なんでこんなにスローやツイストが低いんだろう?」って不思議に思ったくらい。自分の基準がまず中国の高いレベルで設定されたことは良かったと思います。
――今でも試合で中国選手たちと一緒になると、仲良く話している姿を見かけます
中国時代、ペアの選手ではハオ・ジャンと特に仲良しだったんです。よく一緒にご飯を食べたり、バスケをしたり。ハオ・ジャン(183センチ)には、わたし(146センチ)は背が全然届かないんですけれど(笑)。それから、シャンプーを一緒に買いに行ったりしました。ハオ・ジャンの髪がすごくいい匂いがしたので「どんなシャンプー使ってるの?」って聞いたら、わざわざ一緒に買いに行ってくれたんです。
――高橋選手は英語だけでなく中国語も堪能なので、記者会見などでいつも驚かされます。ところで、中国といえばペア大国、という印象ですが、やはり日本とは違いましたか?
そうですね。国内の試合では必ず最後がペアでした。それから今、外国ではまだまだ自分たちを知らない人は多いのに、中国では中国ペアのライバルとして、けっこう存在を知られているんです。日本人が誰でもジョニー・ウィアーを知ってるのと同じように、外国のペア選手も有名。だからシングルより人気はあるかもしれないな、と思います。
――練習も日本でのシングルの練習以上に厳しかった?
厳しかったけれど、練習をたくさんする日本とはまた違う厳しさでした。中国では「練習」というよりも「訓練」って感じ? 氷上だけでなく、陸上トレーニングもかなり厳しくて、そのころ一緒に練習していたジュニアのペアは5組いたんですけれど、今も続けている選手は男の子2人だけ。女の子はみんなやめてしまいました。でも自分はペアができることがとにかくうれしかったから、きついとは思わなかった。
――そして14歳のころ、中国の全国大会に出場し、ペアで6位に入りました。しかも5位までの選手はすでに国際レベルで活躍している選手で、彼らに続く6位でした
そうなんです。でも、まだ小さかったこともあって、その時は演技が良かったことを喜んでいただけ。すごい成績だという実感はわかなかったんです。しかも、どれがどの大会かわからず試合に出ていて、出てみたら「おお、これすごい大会だったんだな」って気づくくらい(笑)。そこまではとんとん拍子に行ってしまったような気がします。