GP10年目を迎えた村主章枝の変化=フィギュアスケート

青嶋ひろの

後輩たちに伝えたいこと

GPシリーズ・スケートカナダ フリーの演技をする村主章枝 【Getty Images】

 この夏、村主章枝(陽進堂)に紹介され、彼女に関わるある人物を取材する機会を得た。
 その人物とは、東京でスキーのプロショップを経営する田村忠司さん(プロトタイプ代表)。スキーのプロショップ経営者? 実は彼は、長年村主のスケート靴のメンテナンスを担当している人物。本職はスキーブーツの専門家だが、紆余(うよ)曲折を経て日本に職人の少ないスケート靴のケアを頼まれることとなり、ソルトレークシティー五輪前から村主の躍進を支えてきた影の功労者だ。

 田村氏から聞く、村主のスケート靴へのこだわり、変形するまで足を傷めてしまう選手たちの苦労、彼女のリクエストに応えるための田村さんの苦心の数々……。私は初めて村主を取材してから8年経つが、これまで聞いたことのない話ばかりで本当に驚いてしまった。そうか、村主はここまでのこだわりと苦心を、靴だけでなく振り付けで、音楽で、衣装で、ジャンプの跳び方で、同じようにしてきたのだろう。
「これまで得たスケートの技術そのものも、スケート周辺の知識も……私がひとり占めしていてはもったいない。後輩たちに伝えたいことが、たくさんあるんですよ!」
 そんなことを、彼女自身も昨シーズンあたりから盛んに口にするようになっている。

スポンサー募集は一断面

 長い選手生活、頑固で凝り性であるがゆえ、「スケート道」を追及する過程では、時には誰かと衝突をすることもあっただろう。
「でも彼女の無理難題に応えるためにがんばってきたから、僕の方もかなりいろいろと学ぶことができたんですよ」と、笑う田村さんの店には、スキーブーツとは何の関係もない、スケート靴のエッジを研ぐ専門の機械までそろっていた。村主というスケーターの情熱に巻き込まれ、それを後悔はしていない人の笑顔だ。
 最初はほぼ彼女ひとりの靴をメンテナンスしていた田村さんも、今では関東のいくつかのリンクで、若い選手たちのスケート靴に関する相談に乗っているという。スケーターにとってスケート靴の合う、合わないは大きな悩みだが、専用の足型をとって調整したり、靴の中敷きを工夫したりするだけで痛みが治まり、もう一度ジャンプが跳べるようにもなる。村主が田村さんをスケート界に引っ張りこんだことで、小さな選手たちが何人も、苦しみから解放されたり、スケートを滑る楽しみを取り戻したりしているのだ。
 
 スポンサーを募集する異例の記者会見を開き、無事に支援者を得て現役続行――そんな大胆さにばかり注目が集まっているが、それは村主というスケーターの一断面でしかない。

9位に終わったスケートカナダ

 オフシーズンのそんな取材を振り返りながら見た、村主の今季第一戦、グランプリ(GP)シリーズのスケートカナダ。
 ショートプログラム、フリースケーティングともにジャンプミスが続き、総合順位は9位。今月初めの国内戦、東京ブロック大会も急性扁桃炎で棄権しており、体調は万全でなかったのだろう。それを差し引いても、GPシリーズ参戦10年目にして総合9位、これまでで最も低い順位は残念だ。
 スケートカナダ、女子シングルの試合そのものはとても見応えのあるものだった。今井遥(日本橋女学館)、クセニア・マカロワ(ロシア)、アグネス・ザワツキー(米国)といったシニア1年生が勢いのある演技で溌剌とデビューを飾る一方、アリッサ・シズニー(米国)、シンシア・ファヌーフ(カナダ)らおなじみの選手たちは、新人にない安定感と確固としたカラーを見せつける。アフター五輪イヤーも休むことなく競技に打って出ようという選手たち、まだシーズン序盤だというのに、それぞれのスタンスで切れ味鋭い勝負を見せてくれた。
 試合が面白かったからこそ、この中で飛び抜けて経験豊富な村主が、その存在感を見せられないのは残念だった。取材をしている側は、彼女がどんな苦労をし、どんな努力を重ね、どんな思いで滑り続けているかを知っている。しかし村主がスケーターである以上、すべては氷の上で見せなければならないのだ。それは彼女自身がいちばんよく知っているだろう。

気負いを捨てた新しい姿に期待

 日本のファンだけでなく、世界のスケート関係者が、スケート関係者だけでなく、多くの同世代の女性たちが、彼女が30歳を迎える今シーズンも現役を続ける意味を知りたいと思っている。彼女のあくなき挑戦に共感を抱き、その努力が実を結ぶことを願っている。そのためには、試合で結果を出すか、結果を伴わなくても彼女だけの存在感を見せるか、そのどちらかをしなければならない。長く滑り続けることに意味があることを、村主のスケートで見せなければならない。それをGPシリーズ2戦目で、全日本選手権で、彼女は見せてくれるだろうか? 

 ひとつ鍵になるのは、彼女自身の「気負い」ではないかと思う。世界選手権銀メダリスト、GPファイナルチャンピオンのプライドを捨て、自分が特別な存在であることを意識せず、今井やマカロワのような挑戦者の気持ちで試合に臨めるかどうか。これまでは良い方向に運んでくれることもあった持ち前の頑固さや強いこだわりさえも捨て、かぶりがちな殻を破り、さまざまなものを吹っ切って氷の上に立てるかどうか。
 今の村主ならば、それができると思う。彼女は今シーズン、8年間取材をしていても決して明かすことのなかった「秘密兵器」の田村さんを、「もっとたくさんの選手に知ってほしいから」と紹介してくれたのだ。そんな姿勢こそが、プライドも気負いも捨て、ただ豊かな経験だけを美しくまとう村主の新しい姿に、つながっていくのではないかと思う。

<了>
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著者プロフィール

静岡県浜松市出身、フリーライター。02年よりフィギュアスケートを取材。昨シーズンは『フィギュアスケート 2011─2012シーズン オフィシャルガイドブック』(朝日新聞出版)、『日本女子フィギュアスケートファンブック2012』(扶桑社)、『日本男子フィギュアスケートファンブックCutting Edge2012』(スキージャーナル)などに執筆。著書に『バンクーバー五輪フィギュアスケート男子日本代表リポート 最強男子。』(朝日新聞出版)、『浅田真央物語』(角川書店)などがある

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