ビーチバレー、西堀健実の挑戦
今シーズンの国内ツアー開幕戦で、新パートナーの浦田聖子(フリー)とともに初優勝。ツアー参戦6年目で日本一の座をようやくつかんだ。さらにこの結果、アジア大会代表に選出され、初の日の丸を背負うことになった。
「後悔したくないから、解散の道を選んだ」という西堀。昨シーズンまで約5年間ペアを組んだ浅尾美和(エスワン)との解散決断の理由から、今シーズンの挑戦を追った。
インドアのエリートから、ビーチへの転向
ツアー参戦6年目の西堀健実。浅尾と2人で戦った4年半と、決意の独立。覚悟を決めて戦う、現在の思いを語った 【坂本清】
浅尾とペアを解散して8カ月が過ぎたころ。雑誌取材の合間に、西堀は、ぼそっとつぶやいた。すぐそばには、新しいパートナー・浦田もいた。二人そろってビーチで撮影、しかも5月の『JBVツアー第1戦東京オープン』で開幕女王に輝いたばかりだというのに、いまだ代名詞で呼ばれる現実がそこにあった。普通だったら、つい愚痴をこぼしてしまいそうな場面である。しかし、西堀はこれっぽっちの悲壮感を感じさせることなく、涼しい顔で過去の自分をしっかりと受け止めていた。
「美和や事務所の方には、今でも感謝しています。美和とペアを組むようになって、ビーチバレーに専念させてもらえるようになりましたし、海外で戦えるようになりました。美和とペアを組む前は、結果も出ないし所属先もないまま、路頭に迷っていましたから」
西堀は、バレーボールの名門中の名門である長野県の裾花中、宮城県の古川商高(現・古川学園)で全国制覇を成し遂げたエリートプレーヤーだった。その実績を引っさげ、高校卒業後の2000年にはJT(V・プレミアリーグ)に入団したが、「自分はもうチームに必要ないと思った」という理由で、03年に退団。「バレーが嫌いになりそうだったから、ビーチバレーで一旗揚げてやろうと思った」と意気込み、双子の妹・育実とともにビーチバレーに転向した。
しかし、現実は厳しかった。アルバイトと兼業しながら、練習をこなす日々。なかなか思うような結果を残せず、かつてのエリートプレーヤーは、「遊びに近い状態。ずっとフラフラしていました」と当時のことを振り返る。そんな西堀の環境を一変させたのが、のちに『ビーチの妖精』としてブレークすることになる浅尾の存在だ。
浅尾とのペア解散から独立へ
ライバルたちから恐れられる、西堀のブロック 【坂本清】
しかし、北京五輪後、五輪経験者である佐伯美香、楠原千秋が第一線を退き、新時代到来かと期待された09シーズン。一番ペア経験の長い西堀・浅尾ペアは、真っ先に優勝候補に挙げられたものの、一度も国内ツアーを制することができなかった。
「勝ちたい一心でやっていたんですけど、どうしても最後の1点が取れないで負ける。試合が終わると、後悔だけが残って負けた原因を何かのせいにしてしまう。その繰り返しでした。心のどこかで環境に甘えていた部分があったのかもしれません。私の場合、ビーチバレーをさせてもらえる環境を、周囲の方に作ってもらった。だから本気で勝ちたいなら、自分で自分を追い込まないといけないのに、それを分かっていながら行動に移せなかった。結局自分に甘えがあったから結果が出なかったんだと思います」
西堀・浅尾ペアは、4年半にわたって組んでいたペアを解消。その直後、西堀はさらに大きな決断を下す。『勝てない自分』と決別するために、5年間在籍し、マネジメントやスポンサー活動などすべて切り盛りしてもらっていった所属先を退団することを決めた。
「そのままお世話になっていたら、きっと自分は変われない。本気でロンドン五輪を目指そうと思ったら、環境に甘えずいろんなものを自分で作り上げていかないとダメだと思ったんです」
スポンサーへの営業、取材対応などのスケジュール管理、経理面も、すべて自分で管理する。西堀は、どこにも属さない『フリー』の状態で、今シーズン始動した。そんな西堀の姿を、隣で見てきたパートナーの浦田は、陰ながらアドバイスを送り続けてきたという。
「私自身も、ずっと所属してきたチームを卒業して一人になったときは、本当に大変でした。だから、そのときの自分と今のタケの姿が重なってみえました。目標を持って自分で行動するという意味では、今年はタケにとって大事なシーズンになるのではないでしょうか」