岩政大樹、代表を熱望し続けた結果の選出

田中滋

執念でつかみ取ったW杯メンバーの座

頑強な体を活かした競り合いの強さが武器の岩政。周囲との連係でチャンスを未然に防ぐクレバーさも併せ持つ 【Photo:Getty Images】

 岩政大樹ほど日本代表に対する思いを正直に告白する選手は珍しい。代表に選出される以前から並々ならぬ意気込みでアピールを続けてきた。リーグ優勝したチームの中心選手である自負を背に「中澤さん、闘莉王に挑むのは自分」と常に公言、そして第3センターバックというポジションを射止めた。

 しかし、2010年2月の東アジア選手権の韓国戦では、田中マルクス闘莉王の退場を受けて急きょ出場した試合で、岩政はまったく持ち味を発揮することができなかった。
「いろんな人が難しい状況だったとかばってくれるけど、そういう場面で出場することを想定していたので言い訳にはならない」
 韓国戦から数日後、鹿島で囲み取材に応じた岩政は落ち着いて自分のことを振り返っていた。しかし、その心境に至るまでに、さまざまな葛藤を乗り越えてたどり着いたことは想像に難くない。岩政は韓国戦が終わった時、両ひざに手をつき深く深くうなだれていたのだから。ところが取材の場では愚痴や不満は一切口にせず、逆に自分と同じく代表から落選した選手の心情を気遣っていたのである。

 この時は、もう一度代表に呼ばれる自信がまだ、自分の中に残っていたのかもしれない。だが、その後の招集で声がかからないと、不安は徐々に大きくなっていった。
「正直言って、ちょっと前までは20〜30%くらいの可能性だと思っていたのですが、最近ちょっとテレビや雑誌でいろんな評論家の方が僕の名前を書いてくれたりしていることがあって、自分の中でのパーセンテージが上がってきて50%に近づきました」
 とはいえ50%。不安な夜が続いたことだろう。その心境を岩政は正直に吐露した。
「何度か自分が折れそうになる時があって、もう努力を続けるのが嫌になりそうな時もあった。でも、いつかまたチャンスが来ると思って、そのいつかのために努力を続けることができた」

 弁が立つということもあり、どうしてもビッグマウスととらえられてしまう岩政。おのずと批判を浴びることも多かった。同時にそれは「そんなの無理だ」「できるわけがない」という声となり、努力を妨げることにつながる。そのなかで、己を信じ続けることがどれだけ困難なことかは想像もつかない。だが、岩政は自分を信じることをやり遂げ、再び代表にまでたどり着いたのである。

「年齢順に呼ばれると思っていたので、今ちゃん(今野泰幸)の名前が出た途端、もう僕の可能性はないと思っていました。もうないと思った瞬間だったのでビックリしました」と、その瞬間の思いを語る。
 代表発表前日、“みそぎ”を行ったというのも、いかにも岩政らしい。
「僕は当落線上にいた人間。昨日は発表前日でもありましたが、最後まで自分で努力したいと思って、午後は休みだったのですが、いつも以上にハードな自主トレをして今日を迎えようと思っていました」
 代表の常連である内田篤人がしれっとしていたのに比べると、岩政は満面の表情でうれしさを隠し切れない様子だった。

人とのつながりを大事に、W杯へ

 岩政大樹は、山口県大島郡周防大島町の出身だ。周防大島は淡路島、小豆島に次ぎ瀬戸内海で3番目に大きい島である。とはいえ、人口は2万人を超える程度。会う人会う人、必ずあいさつをする風土がある。それを当たり前と思い育ってきたため、島外にある岩国高校に通い始めた時も同じように振る舞った。しかし、返ってくるのは奇異なものを見る視線ばかり。その時は「なんて冷たい人たちなんだ」と思ったという。試合後には詳細な分析を施し、数学の教員免許を持つことから“理論派”というイメージの方が強いが、人とのつながりを大事にする周防大島で育った事実は彼に大きな影響を与えている。

 また、東京学芸大から鹿島アントラーズというルートを見ると、サッカーエリートのように感じるが、決してエリートではない。むしろその真逆とも言えるだろう。小学校から高校まで指導してきた先生や実兄の剛樹さんが共通して話すのは「とにかくサッカーが下手くそだった」ということだ。
 だが、下手くそだったことが生来の負けず嫌いに火をつけたのも事実。努力の積み重ねが岩政をプロまで導いた。現在でも、スピードが弱点であることを強く認識し、オフには横綱白鵬を訪ねて研鑽(けんさん)を重ねる。個人トレーナーを雇い入れ、体の軸がブレないことがすばやく動く秘訣と考え、普段からそのためのトレーニングを欠かさない。鹿島でも全体練習後に、独自の筋トレを行う姿がよく見られる。
 さまざまな要素が絡み合って今の岩政大樹を形作っているが、代表での経験は新たな一歩となるかもしれない。

「僕は必ず試合に出られるという選手でもないと思うので、チームの雰囲気が一体となれるように、チームの一員として練習の取り組みの姿勢から頑張っていきたいと思います」
 岩政はこのように公言した。つまり、代表23人の中での役割を理解し、その役目を全うすることを宣言したのだ。これまで岩政は、周囲と選手たちとの連係を大切にすることで守備組織を構築してきた。鹿島でポジションを取ったときは、大岩剛のサポートを受けて自分のやりたいような感覚に合わせてもらい、その後、内田篤人や伊野波雅彦と組んでからは、自分の感覚を彼らに伝えすり合わせる作業を何度となく行ってきた。そうやって意思を統一することで、クラブチームでは安定的なパフォーマンスを発揮してきたのである。
 しかし、代表チームでは岩政の個性に周囲が合わせるのではなく、岩政が周囲に合わせなくてはならない。その感覚がつかめないまま終わってしまったのが、代表を外れるきっかけとなった2月の韓国戦だったのだ。今度こそ、同じことを繰り返さないようにしなければならない。そして、そのことは岩政を大きく成長させるはずだ。

 数年前から契約している個人トレーナーからは、当初「メッシくらいなら止められるはず」と励まされてきた。ただし、それはメッシがまだまだ売り出し中だったころの話。ストライカーとして覚醒(かくせい)した今となっては、「ちょっと無理かも」とトーンダウン。それを聞いて、岩政も笑っていた。ただ、彼が目標としているのはそのレベルの選手たちと対等に戦うということだ。
「日々の努力というのは、決してW杯のためだけにやってきたのではなく、毎週毎週の試合、鹿島で結果を出すためのもの。ただ、その延長線上に世界と戦うということを意識してやってきました。もちろん、この後もサッカー人生は続いていくんですけど、あまり先を見ていても仕方ないので、常に自分の前にある結果に対して、まずW杯で結果を出していきたいと思います」

<了>
岩政大樹
Daiki IWAMASA [鹿島アントラーズ] DF
1982年1月30日生 187cm/76kg
・前所属チーム:岩国高−東京学芸大
・Jリーグ初出場:2004/04/04 2004Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第3節 鹿島(vs名古屋@カシマ)
・Jリーグ初得点:2004/06/19 2004Jリーグ ディビジョン1 1stステージ 第14節 鹿島(vs磐田@カシマ)

提供:ISM
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著者プロフィール

1975年5月14日、東京生まれ。上智大学文学部哲学科を卒業。現在、『J'sGOAL』、『EL GOLAZO』で鹿島アントラーズ担当記者として取材活動を行う。著書に『世界一に迫った日』など。

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