船木とみのる、遺恨超えて初タッグ結成!

高木裕美

過去の因縁を乗り越え、船木(左)とみのるがタッグ初結成 【t.SAKUMA】

 29日の全日本プロレス「2010 GROWIN’ UP」東京・後楽園ホール大会では、満員となる2000人を動員した。

 メーンイベントでは、20年来の因縁を持つ船木誠勝と鈴木みのるが初タッグを結成し、新世代の諏訪魔、河野真幸組と対戦。今年の「チャンピオン・カーニバル」(CC)ベスト4が激突した。
 船木とみのるは新日本プロレスに始まり、UWF、藤原組、パンクラスと行動を共にしてきたが、約5年前に絶縁。しかし、船木が昨年8月にプロレス復帰をしたことから因縁が再燃し、昨年9月から3度に渡りシングルマッチで対戦。4.11JCBホールで行われたCC決勝戦でみのるが船木から初勝利を挙げた後、初めて握手をかわし、これまでの遺恨を清算したことにより、今回の初タッグ結成が決定した。

競演実現も諏訪魔、河野組に敗れる

ギスギスとした雰囲気はなくタッチワークもスムーズだったが、新世代軍の勢いに飲まれまさかの黒星スタートとなった 【t.SAKUMA】

 船木とみのるは試合前に握手をかわすなど、これまでのギスギスした関係を感じさせない友好ムードで試合スタート。船木がリングインしている間はみのるがコーナーからゲキを飛ばし、タッチワークスムーズに進行する。
 みのるが率先する形で合体のローキックや関節技攻撃、さらにはみのるのフロントネックロックと船木の腕ひしぎ逆十字固めによる競演なども実現するが、CC準決勝戦でこの2人に涙を飲まされた新世代コンビの意地が爆発。諏訪魔が2人を次々と投げっぱなしジャーマンで投げつけて流れを変えると、船木に合体のビッグブーツ、みのるには合体のヒザ蹴りをブチ込み、河野がジャイアントニーで船木に快勝。シングルマッチ2連敗を喫した相手から初勝利を奪い取った。

 試合後は諏訪魔がマイクを握り、三冠ヘビー級王者の浜亮太、真田聖也もリングに上げると、「オレら新世代で新しい全日本プロレスを作っていく」と、主力選手の欠場・離脱により激震に揺れる全日本マットを自分たちで牽引していくことをアピール。一方、初タッグを黒星で終えたみのるは「こんな時だけ騒ぎやがって」と、諏訪魔のマイクに苦々しい表情を見せ、5.2愛知県体育館で迎える浜との三冠戦に向け、改めて闘志を燃やした。

VMが元大相撲コンビからアジアタッグ王座を奪取

曙(右)&浜組がアジアタッグ王座から陥落……試合後には仲間割れにまで発展してしまった 【t.SAKUMA】

 セミファイナルではブードゥー・マーダーズ(VM)のTARU、ビッグ・ダディ・ブードゥー組が元大相撲コンビ「SMOP」の曙、浜亮太組を破りアジアタッグ王座を奪取。空中分解したSMOPに対し、元GURENTAIの太陽ケアが曙の救出に入ったことから、ハワイアンコンビ結成の可能性が急浮上した。
 大相撲時代から固い絆で結ばれていたSMOPに対し、「大の相撲嫌い」を公言するTARUが送り込んできた刺客が200キロ超の超大型選手であるビッグ・ダディ。初登場となった3.21両国国技館大会では曙組を相手に6人タッグ戦で圧勝し、その実力の片鱗を見せ付けていた。

 王者組は開始早々ビッグ・ダディを2人がかりで襲撃するなどペースを握るが、VMはレフェリー失神のスキに凶器攻撃やセコンドの乱入など、反則行為を連発。さらに浜の誤爆などもあり虫の息となった曙に、ビッグ・ダディが200キロ超の巨体を生かしたセカンドロープからのボディープレスで圧殺した。
 試合後、浜と曙は仲間割れ。浜が1人で退場すると、曙がVMのリンチにあうが、そこへ同じハワイ出身である太陽ケアが飛び込み救出した。
 ベルトを手に勢いづくVMは次期シリーズから新戦力として元WWEのランス・ケイドの加入を発表。一方、浜と決裂した曙は、TARUの「ハワイアン同士で組んでベルトに挑戦してもいいぞ」という挑発に対し、「とりあえず今は1人で頑張りたい」とケアとの共闘については即答を避けた。

クレイジー&BUSHI組が優勝

ジュニア・タッグリーグ戦はクレイジー(右)&BUSHI組が優勝、「餃子の王将」1年分の食事券を手に入れた 【t.SAKUMA】

 今シリーズを通して開催された「2010ジュニア・タッグリーグ戦」決勝戦では、近藤修司、大和ヒロシ組とスペル・クレイジー、BUSHI組が激突。20分近くに及ぶ熱戦の末、師弟の絆で結ばれたクレイジー、BUSHI組が優勝を果たした。
BUSHIは3.21両国大会でのカズ・ハヤシの世界ジュニア王座挑戦を前にクレイジーに弟子入り。クレイジーに本場のジャベを伝授された。
 一方、近藤は「YASSHIのダメなところに似ている」と、かつてのタッグパートナー、“brother”YASSHIの面影を彷彿とさせる大和をパートナーに指名。大和もこれに応えた。

 4.22高知で行われた公式戦では時間切れ引き分けにより30分では決着がつかなかった両軍だが、この日は序盤から師弟コンビがスパート。2人を場外へ落としてリング上でポーズを決めると、10分過ぎには南側客席に同時に連れ出し、階段の上から2人そろってムーンサルトを決めるなど、息の合ったところを見せる。
 対する近藤、大和組も、かつて近ブラコンビの得意技であったバビロンを繰り出したり、近藤のキングコングコングラリアット、大和のダイビングセントーンなどの猛攻で追い詰めるが、チームが分断される間に、クレイジーがスパニッシュ・フライ(不知火・改)で大和を仕留めた。
 メキシコから帰国後、初の栄冠を手に入れたBUSHIは「クレイジーと最高の見せ場が作れた」と、頼もしい師匠に感謝。副賞として贈られた「餃子の王将」1年分の食事券を手に「毎日餃子パーティーだ」と2人で「餃子最高!」を連呼して喜びに沸いた。

小島が5月いっぱいで退団を正式表明

小島が自らの口から改め全日本退団をファンに報告した 【t.SAKUMA】

 前三冠ヘビー級王者である小島聡がリング上からファンに退団を正式発表。5月シリーズを最後に全日本を離れ、6月に左ヒジ尺骨神経麻痺の手術を行った後、リハビリを経て今後の活動を模索していくことになった。
 小島は新日本プロレスでデビューし、02年に全日本に移籍。武藤敬司新社長の元、全日本のエースとして活躍し、三冠王座をはじめ世界タッグ、アジアタッグといったタイトルや、「チャンピオン・カーニバル」、「世界最強タッグ決定リーグ戦」といった恒例シリーズまで、様々な栄冠を獲得してきた。
 しかし、今年に入ってからは自身が中心となって結成したユニットF4が解散に追い込まれ、3月には三冠王座からも転落。今年のCCでは決勝トーナメントにも残れず、スランプ状態が続いていた。
 シリーズ中に一部報道で退団が報じられた後も小島はシリーズ参戦を続けていたが、この日、初めて正式にファンの前で報告を行うことになった。

 この日の対戦相手は、02年に世界タッグ王座を獲得し、最強タッグ決定リーグ戦でも優勝を飾ったかつてのタッグパートナーの太陽ケア。ファンのあたたかい声援に迎え入れられた小島は、ケアの執拗な右腕攻めにあいながらも、張り裂けんばかりの声で「いっちゃうぞ、バカヤロー!」をファンと合唱。さらに、力のこもったチョップを連発し、右腕のサポーターを投げ捨ててラリアットを打ち込んでいくが、カウント2止まり。ケアのTKO34thからのH5Oという猛攻に沈んだ。

 試合を終えた小島は、マイクを握ると、退団を自分の口から発表。ファンや選手・関係者への謝罪を口にしつつ、5月シリーズの全戦参戦を表明すると、「これからもせいいっぱい頑張ってまいります。本当に8年間ありがとうございました」と深々と頭を下げてリングを降りた。
 バックステージでコメントを出した小島は、退団の大きな理由について「左ヒジの状態の悪化と、武藤全日本プロレスからの卒業」を挙げ、直前まで悩みぬいた末の決断であることを明かした。
 8年前に新日本を退団した時は「不安が9割の期待が1割」という状況だったというが、「全日本で8年間やってきて、大きな自信につながった」ことから、今後についての不安を一蹴。5.16後楽園で開幕する次期シリーズにも全戦参戦が決定したことから、「一生懸命、全身全霊で頑張る」と、全日本プロレスの一員として完全燃焼することを誓った。
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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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