石川、ジョーカーは最後に滑り込む=完敗の中で見えた唯一の希望

元川悦子

けがを乗り越え、南ア行きの最終テストへ

セルビア戦ではゴールこそ奪えなかったものの、積極的に仕掛ける姿勢が目を引いた 【Getty Images】

 2009年10月17日のFC東京対柏レイソル戦、直前の日本代表国内3連戦で5年ぶりに代表復帰するなど絶好調だった石川直宏に予期せぬ悲劇が起きた。
 後半24分、全速力で走り込んでチーム3点目のゴールを決めた瞬間、着地した左足に柏のMF大谷秀和が倒れ込んでしまいもん絶。ピッチ上で動けなくなった。「ナオさん、泣いてたからね。かわいそうだよね」と柏のDF近藤直也が言うほど、本人は大きなショックを受けていた。診断結果は左ひざ前十字じん帯不全損傷で全治6週間。思いのほか軽かったものの、トップコンディションまで回復するかどうか分からない。8カ月後に迫った2010年南アフリカ・ワールドカップ(W杯)出場はかなり微妙な情勢となった。

 しかし本人は南アフリカ行きをあきらめなかった。手術を受けずに保存療法を選択し、一縷(いちる)の望みを託してリハビリを必死にこなした。努力が実り、今年1月の指宿合宿で岡田ジャパンに何とか復帰。持ち前のスピードと体のキレはピーク時に近づいていたが、「接触プレーへの恐怖感があるし、フィニッシュの精度にもギャップを感じる」と本人が話したように、厳しい局面での違和感が見て取れた。この苦境に追い打ちをかけるように2月のベネズエラ戦のウオーミングアップ時に左ふくらはぎを負傷。東アジア選手権のメンバーから落選し、再び南ア行きに暗雲が立ち込めた。
 それでも、石川は強靭(きょうじん)な精神力でけがを乗り越え、3月6日の今季Jリーグ開幕戦、横浜F・マリノス戦でベンチ入りすると、途中出場で周囲を安堵(あんど)させる。そして20日のセレッソ大阪戦で待望のスタメン復帰を果たした。

 C大阪戦の数日前、小平グラウンドで石川と久しぶりにじっくり話す機会を得た。
「正直、少し早いかなと思ったけど、考えていた時期に戻れた。何とか南アに間に合ったかなという感じです」と彼は爽やかな笑顔を見せた。「コンディションも問題ないし、90分走れる体力も戻っている」という言葉通り、その後はJリーグで先発に定着。岡田監督もやれると判断し、このタイミングで招集に踏み切った。
「今のチームには中で生きるタイプのMFが多いが、ナオはワイドで生きる数少ない選手。右サイドで起点を作ってクロスも上げられるし、ゴールにも絡める。シュートもチームで一番うまい」と指揮官も多大な期待を寄せる石川が本当に使える戦力か否か。セルビア戦はそれを見極める重要な場だった。

中村俊との9年ぶりの共演に膨らむ期待

 5日の代表合宿初日の戦術確認で、石川は主力組の4−2−3−1の右MFに入った。翌日の紅白戦でも途中から主力組に加わり、同じく右MFを務めた。攻撃の大黒柱・中村俊輔は前者でトップ下、後者で左MFに入り、石川のスピードと決定力を生かそうと意欲をのぞかせた。動き出しが速く、多彩な形でボールを引き出せる石川と、際立ったボール扱いとパスセンスを備えた中村俊がうまくかみ合えば、日本代表の攻撃に新たなエッセンスが加わる……。岡田監督もそんな期待を抱いたことだろう。

 2人が同じピッチに立つのは、共に横浜FMでプレーしていた01年以来。実に9年ぶりだ。01年ワールドユース(現U−20W杯)で山瀬功治とともにインパクトを残した当時の石川は「進境著しい若手」として注目を集めていた。横浜FMのオズワルド・アルディレス監督(当時)も抜群のスピードを誇る20歳のサイドプレーヤーを高く評価し、積極的に使った。しかし、若手偏重の選手起用が災いしたのか、名門チームは予想外の不振に陥り、J2降格争いを強いられた。そんな中、彼は00年にJリーグMVPを受賞した中村俊に厳しい要求を突きつけられ、怒られまくった。

「あのころの自分は話にならなかったと思う。足元で受けて勝負するだけだったし、ボールを引き出す駆け引きなんかも、まったくなかったから。でも時間が経って、僕も受ける側としていろんなことを覚えた。俊さんが世界で経験してきたものとは比べものにならないけど、自分も少しは幅が広がったと思う。だからこそ、久しぶりのプレーが楽しみですね」と石川は9年間の成長に自信を見せた。

 中村俊の方も「ナオを怒ったネタはもういいよ」と冗談混じりに言いつつ、「ナオはダイナミックな動きとか、ワントラップでスピードに乗りながらのシュートとかが武器。あんまり距離を近づけないで、ナオに自由にやらせてからサポートをした方がいいのかな」といくつかのイメージを膨らませていた。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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