石川、ジョーカーは最後に滑り込む=完敗の中で見えた唯一の希望
けがを乗り越え、南ア行きの最終テストへ
セルビア戦ではゴールこそ奪えなかったものの、積極的に仕掛ける姿勢が目を引いた 【Getty Images】
後半24分、全速力で走り込んでチーム3点目のゴールを決めた瞬間、着地した左足に柏のMF大谷秀和が倒れ込んでしまいもん絶。ピッチ上で動けなくなった。「ナオさん、泣いてたからね。かわいそうだよね」と柏のDF近藤直也が言うほど、本人は大きなショックを受けていた。診断結果は左ひざ前十字じん帯不全損傷で全治6週間。思いのほか軽かったものの、トップコンディションまで回復するかどうか分からない。8カ月後に迫った2010年南アフリカ・ワールドカップ(W杯)出場はかなり微妙な情勢となった。
しかし本人は南アフリカ行きをあきらめなかった。手術を受けずに保存療法を選択し、一縷(いちる)の望みを託してリハビリを必死にこなした。努力が実り、今年1月の指宿合宿で岡田ジャパンに何とか復帰。持ち前のスピードと体のキレはピーク時に近づいていたが、「接触プレーへの恐怖感があるし、フィニッシュの精度にもギャップを感じる」と本人が話したように、厳しい局面での違和感が見て取れた。この苦境に追い打ちをかけるように2月のベネズエラ戦のウオーミングアップ時に左ふくらはぎを負傷。東アジア選手権のメンバーから落選し、再び南ア行きに暗雲が立ち込めた。
それでも、石川は強靭(きょうじん)な精神力でけがを乗り越え、3月6日の今季Jリーグ開幕戦、横浜F・マリノス戦でベンチ入りすると、途中出場で周囲を安堵(あんど)させる。そして20日のセレッソ大阪戦で待望のスタメン復帰を果たした。
C大阪戦の数日前、小平グラウンドで石川と久しぶりにじっくり話す機会を得た。
「正直、少し早いかなと思ったけど、考えていた時期に戻れた。何とか南アに間に合ったかなという感じです」と彼は爽やかな笑顔を見せた。「コンディションも問題ないし、90分走れる体力も戻っている」という言葉通り、その後はJリーグで先発に定着。岡田監督もやれると判断し、このタイミングで招集に踏み切った。
「今のチームには中で生きるタイプのMFが多いが、ナオはワイドで生きる数少ない選手。右サイドで起点を作ってクロスも上げられるし、ゴールにも絡める。シュートもチームで一番うまい」と指揮官も多大な期待を寄せる石川が本当に使える戦力か否か。セルビア戦はそれを見極める重要な場だった。
中村俊との9年ぶりの共演に膨らむ期待
2人が同じピッチに立つのは、共に横浜FMでプレーしていた01年以来。実に9年ぶりだ。01年ワールドユース(現U−20W杯)で山瀬功治とともにインパクトを残した当時の石川は「進境著しい若手」として注目を集めていた。横浜FMのオズワルド・アルディレス監督(当時)も抜群のスピードを誇る20歳のサイドプレーヤーを高く評価し、積極的に使った。しかし、若手偏重の選手起用が災いしたのか、名門チームは予想外の不振に陥り、J2降格争いを強いられた。そんな中、彼は00年にJリーグMVPを受賞した中村俊に厳しい要求を突きつけられ、怒られまくった。
「あのころの自分は話にならなかったと思う。足元で受けて勝負するだけだったし、ボールを引き出す駆け引きなんかも、まったくなかったから。でも時間が経って、僕も受ける側としていろんなことを覚えた。俊さんが世界で経験してきたものとは比べものにならないけど、自分も少しは幅が広がったと思う。だからこそ、久しぶりのプレーが楽しみですね」と石川は9年間の成長に自信を見せた。
中村俊の方も「ナオを怒ったネタはもういいよ」と冗談混じりに言いつつ、「ナオはダイナミックな動きとか、ワントラップでスピードに乗りながらのシュートとかが武器。あんまり距離を近づけないで、ナオに自由にやらせてからサポートをした方がいいのかな」といくつかのイメージを膨らませていた。