渡嘉敷来夢の3年間 輝きが増したダイヤの原石=天皇杯・皇后杯バスケ オールジャパン第1日
12月のウインターカップではダイナミックなプレイの数々を披露。篠原(左)とのライバル対決でも圧勝した 【(C)JBA】
大会ごとに目覚ましい成長を見せてきた渡嘉敷。その3年間を振り返ってみたい。
着実な成長を見せた3年間
桜花学園高に入学間もない頃の渡嘉敷は、練習では「ハテナの連続だった」という。「ボールラインやミドルラインという言葉さえ知らなかった」からだ。全国中学生大会ではベスト8だが、単純なプレーしかできない、“原石”の状態だった。そんな彼女が、高校1年の夏にはワンハンドのシュートをものにし、ポストプレーを身につけていた。実力派ぞろいの上級生のサポートもあって、4カ月足らずで急成長を見せたのだ。
この夏の鮮烈なデビュー以来、渡嘉敷は大会ごとに着実な成長を見せてきた。インターハイ、国体、高校選抜(ウインターカップ)と9つの全国大会で落としたのは高校2年の国体だけ。その陰では、身長が伸び続けることからくる「成長痛」と、筋力不足によるヒザの痛みがあった。ケガも含めてこの3年間でチームメートと練習できたのは「4割ぐらい」(渡嘉敷)。一人で黙々とトレーニングに励む時間が長かった。
それでいて、現在の高いスキルである。限られた練習の中で確実に伸びを見せてきた背景には、天性の勘のよさ、運動能力の高さがある。しかも、勝負がかかった大舞台ではきっちりと結果を出す、精神的な強さも身につけてきた。