渡嘉敷来夢の3年間 輝きが増したダイヤの原石=天皇杯・皇后杯バスケ オールジャパン第1日

舟山緑

12月のウインターカップではダイナミックなプレイの数々を披露。篠原(左)とのライバル対決でも圧勝した 【(C)JBA】

 3年前、日本のバスケット界は計り知れない可能性をもった逸材の登場に胸を躍らせた。桜花学園高(愛知)の渡嘉敷来夢の登場である。その渡嘉敷が、高校生最後の大会として全日本総合バスケットボール選手権(オールジャパン)に臨んでいる。大会1日目には大学7位の早稲田大と対戦し73対41で圧勝。2回戦進出を決めた。

 大会ごとに目覚ましい成長を見せてきた渡嘉敷。その3年間を振り返ってみたい。

着実な成長を見せた3年間

 中学時代からそのポテンシャルの高さは注目されていたが、その存在を強烈にアピールしたのは2007年、高校1年生のときの佐賀インターハイだった。188センチの長身は手足が長い上に、バランスも抜群。その高さを生かしてリバウンドをもぎとり、速攻に走ってゴール下で得点を重ねた。何より観る者を魅了したのは、そのボディバランスのよさから繰り出されるダイナミックなプレーだった。彫りの深い顔立ちもあいまって、そのプレーには圧倒的な“華”がある。これまでの日本にはいなかった、まったく新しいプレーヤーの誕生だった。

 桜花学園高に入学間もない頃の渡嘉敷は、練習では「ハテナの連続だった」という。「ボールラインやミドルラインという言葉さえ知らなかった」からだ。全国中学生大会ではベスト8だが、単純なプレーしかできない、“原石”の状態だった。そんな彼女が、高校1年の夏にはワンハンドのシュートをものにし、ポストプレーを身につけていた。実力派ぞろいの上級生のサポートもあって、4カ月足らずで急成長を見せたのだ。

 この夏の鮮烈なデビュー以来、渡嘉敷は大会ごとに着実な成長を見せてきた。インターハイ、国体、高校選抜(ウインターカップ)と9つの全国大会で落としたのは高校2年の国体だけ。その陰では、身長が伸び続けることからくる「成長痛」と、筋力不足によるヒザの痛みがあった。ケガも含めてこの3年間でチームメートと練習できたのは「4割ぐらい」(渡嘉敷)。一人で黙々とトレーニングに励む時間が長かった。
 それでいて、現在の高いスキルである。限られた練習の中で確実に伸びを見せてきた背景には、天性の勘のよさ、運動能力の高さがある。しかも、勝負がかかった大舞台ではきっちりと結果を出す、精神的な強さも身につけてきた。

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著者プロフィール

月刊バスケットボールで12年にわたりミニバスから中学、高校、大学、トップリーグ、日本代表まで幅広く取材。その後、フリーランスとなる。現在はWEBを中心にバスケットの取材・執筆を続けている。ほかに教育分野での企画・編集なども手がけている

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